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三宅裕司が語るラジオ・テレビ黄金時代「生放送なのに女の子の下半身が丸出しに」

幼稚園の頃からテレビっ子

――次に1986年に始まった『テレビ探偵団』(TBS)のお話を聞きたいんですが、懐かしのテレビCMやテレビ番組を振り返る番組は珍しかったですよね。 三宅:そうですね。あの頃はまだ視聴率競争が今程熾烈じゃなかったから、他局も喜んでVTRを貸してくれたんです。あの時代だから成立した番組で、今やれと言われても、どこも貸してくれない。そりゃそうですよね。それで他局の視聴率が良くなる訳ですから。 ――三宅さんのテレビへの思い入れが伝わってくる番組でした。 三宅:僕は昭和26年生まれで、民放テレビ局で初めて日本テレビが開局したのが昭和28年。高度経済成長期真っ只中に小・中・高と過ごして、カラーテレビが一気に普及した東京オリンピックが中学1年生のときですから、そりゃあテレビっ子ですよ。しかも、うちは僕が幼稚園のときからテレビがあったんですよ。国鉄技術研究所に勤めていた親父が、会社の行き帰りに、秋葉原に寄って、部品を買ってテレビを作ったんです。 ――イチからテレビを作ったんですか! 三宅:決してお金持ちではなかったんですけど、努力の結果、どこの家庭よりも早くテレビがありました。うちのテレビは扉が閉まるタイプで、その上にひらひらのカーテンを被せていたんです。テレビ見たさに集まってきた近所の人が見守る中、観音扉を開けて、スイッチを入れるんですけど、点くまでに時間がかかるんです。しばらくしたら、「ブーン」って音と共に、真ん中から映像が浮かび上がって来て、「おー!」と歓声が上がる。「三丁目の夕日」の世界ですよ。

今では作れないテレビ番組

――当時『週刊TVガイド』にいた泉麻人さんが、朝井泉名義でコメンテーターを務めていましたが、三宅さんとの掛け合いが楽しかったですし、お二人とも知識量がすごかったです。 三宅:僕のほうが年上ですから、テレビっ子時代も長いわけです。それでも彼の知識には勝てなかったですね。 ――毎回ゲストが登場して、思い出のテレビ番組を振り返りますが、貴重な映像のオンパレードでした。 三宅:すごかったですよ。ゲストの方が観たいという映像を全部集めるんですから。しかも『拳銃無宿』とか『ララミー牧場』とか海外のテレビ番組も借りてくるんです。今借りたら、どれだけお金がかかるか。秒単位でお金がかかりますから、もう『テレビ探偵団』みたいな番組は作れないですよね。
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ハプニングが続出した「イカ天」
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出版社勤務を経て、フリーの編集・ライターに。雑誌・WEB媒体で、映画・ドラマ・音楽・声優・お笑いなどのインタビュー記事を中心に執筆。芸能・エンタメ系のサイトやアイドル誌の編集も務める。

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劇団スーパー・エキセントリック・シアター 第61回本公演
「ラスト★アクションヒーロー~地方都市に手を出すな~」

日時:2023年10月19日(木)~10月29日(日)
場所:サンシャイン劇場

【作】𠮷井三奈子
【演出】三宅裕司
【出演】三宅裕司 小倉久寛
劇団スーパー・エキセントリック・シアター

劇団スーパー・エキセントリック・シアター第61回本公演は、とある地方都市に潜入した公安特殊部隊とスパイ組織による、極秘に開発された超小型スーパーコンピューターを巡るスパイアクション。純朴な町の人々を巻き込み水面下の攻防戦が繰り広げられる、男たちの熱き絆と友情の群像劇。劇団スーパー・エキセントリック・シアターが最も得意とする“アクションの集大成”。
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