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“看板だけで2億円”きぬた歯科が至る所に看板を出す理由「実は最強のネットツールだと思う」

訴訟で徹底抗戦。商標登録で無双状態

エッジ0709

きぬた泰和氏

――これだけ有名になると、誹謗中傷トラブルに巻き込まれませんか。 泰和:今日も「引っ越して窓を開けたら、あんたの顔が目の前に見える。公序良俗違反だ」ってメールが来てたな。法律上は問題ないから、これは無視。最近は具体的な嘘をネットに書き込むヤツが多いから、Googleとかに発信者情報公開請求して、相手に直電して削除させている。応じなければ、訴訟だね。今、裁判を11件やってるけど、これは全部うちが訴えている側だから。 久和:お前は徹底的に闘うよね。カネにならないのに(笑)。 泰和:最近はパクリ看板の同業者が自ら謝罪に来ることも多いよ。つい先日、看板の配色の商標登録を取ったから、もう誰もマネできないけど。カネを払うか、撤去するしかない(笑)。 ――6月12日付でマゼンタ、ブラック、ブルーの配色が認められたんですよね。 泰和:さすがに黄色だけじゃ商標登録取れなかったけどね。 ――配色の商標登録は、セブン-イレブンとトンボ鉛筆くらいしか例がないですよね。 泰和:そうらしいね。うちの弁理士もびっくりしていたよ(笑)。でも、兄さんは勝手に使っても構わないからね。こっちも、きぬたぬき君とか使わせてもらっているし。 久和:誰があんな下品な色を使うか! そもそも黄色の看板はうちが先に始めたんだぞ。

人生は進んでも進んでも答えが出ない蜃気楼

エッジ0709――まあまあ……。話は変わりますが、お二人の今後の目標はありますか? 久和:『スラムダンク』で、主人公の桜木花道が安西先生に言う「オヤジの栄光時代はいつだよ。全日本のときか? オレは今なんだよ!」って名言があるでしょ。僕は開業してからずっとがむしゃらに頑張ってきたんだけど、今が絶頂期だと思っても、ずっと右肩上がりで翌年、そしてまた次の年が絶頂なの(笑)。こうなると、もうどうしたらいいんでしょうね。 泰和:俺は人生って答えが出ない気がするんだよね。東京に来た時に高速道路には名だたる企業の看板が並んでいて、成功者の象徴みたいに見えた。歯医者には無理だろうと思っていたら、できちゃった(笑)。でも、自分が成功したとはいまだに思えなくてね。何かにようやく到達したと思ったらまだそこから先がある。人生って、進んでも進んでも答えが出ない蜃気楼みたいだなって。 久和:そんなことを考えていたのか……。 泰和:なので、7月19日に『異端であれ! ―どれだけ看板を出しても、金を稼いでも、成功などなかった。人生はどこまで行っても蜃気楼―』という書籍をKADOKAWAから出版します。 久和:宣伝かよ! 弟は僕に負けたくない一心なんですよ。僕は父親から「常に弟の上を行け」、弟は「兄貴に勝てずして、誰に勝てるんだ」って言われて育てられましたから。僕も弟がリタイアしたら、やる気なくなっちゃう。これからも、兄弟で切磋琢磨していきますよ。  看板は道楽ではなく、一代でのし上がった兄弟が生き残るための戦略だった。分院展開はせず、横浜と八王子の地域密着型の歯科医院として地道に努力を重ねた結果、行きついた道でもあった。それを知れば、ど派手で奇抜な看板が、違った味わいに感じられるのではないだろうか。 【Hisakazu Kinuta】 1964年、福島県生まれ。日本歯科大学卒業。1992年、神奈川県横浜市にてきぬた歯科を開院。技術力が高い評価を得ており、年間症例実績2700本以上と神奈川県内で圧倒的な成果を誇る。1998年、神奈川インプラントセンターを開設し後進の育成にも注力 【Yasukazu Kinuta】 1966年、栃木県生まれ。日本歯科大学卒業。1996年、東京都八王子市にてきぬた歯科を開院。スウェーデンのインプラント専門誌『INside』にて、日本で最も多くインプラントを手がける医師として紹介される。’23年より「足利みらい応援大使」を務める 取材/D.J.マメ 文・構成/中野 龍 安羅英玉 写真/黒田 明 金 哲基
1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿
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