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東電社員バッシングは、原子力推進システムへの責任追及につながらない【森達也氏】

原発事故への責任追及が東京電力社員に集中している。「事故の責任を取れ」というが、一社員にとってはどうしようもない。それでも脅迫やイジメは続く。そもそも、原発に関わってこなかった人がほとんどの職場。そんな『東電バッシング』に関して、オウム真理教を追ったドキュメンタリー映画で知られる森達也氏に話を聞いた。

◆東電はシステムの 「末端構造」にすぎない

森達也氏

森達也氏

 東京電力が福島第一原発で、なぜ過ちを犯したか考えるうえで、責任追及は大事。だからといって、東電社員一人ひとりまでバッシングするのは次元の違う話だと思う。

 東電バッシングで、東芝、日立、三菱などの原発メーカーや、原子力を強く推進してきた中曽根康弘元首相や正力松太郎氏らをはじめ政界・政府などの原子力推進システムへの責任追及につながっていない。安全神話形成のシステム全体において東電そのものは、回路のひとつの出口であり、末端構造にすぎないはず。

 ただし事故以前は、地元福島では東電とその子会社に就職できたら一生安泰みたいな感じで、東電への就職は「特権階級」への仲間入りだった。今回の大事故で、それに対する憎悪、ルサンチマンが火を噴いている。

 大津のいじめ問題もそうだけど、わかりやすくて叩ける相手を見つけたときにみんなで叩いて安心する。批判が一極に集中することで、全体構造がわからなくなり、非常にまずい状況だと思っている。

 例えば、水俣病の原因をつくったチッソは、漁業しかなかった地域にやってきて雇用を促進した。チッソはプラスチックを作っていて、その製造過程で問題となった有機水銀が出た。当時は高度経済成長前でプラスチックは基幹産業、国策だった。だからこそ迅速な対処ができずに被害が拡大した。この構造は原発とまったく一緒で、恩恵をみんなが受けていた。水俣病被害者の緒方正人さんが出された本のタイトルに「チッソは私であった」とある。この「自分は被害者であるけど、加害者でもある」という認識はとても大事だと思いますね。

 東電バッシングでは、みんなが被害者になっている。戦後の「戦争責任」追及と一緒で、無理やり誰かを「戦犯」に決めて安心しようとしている。東電の責任は大きいけれども、その背後には「原子力村」と呼ばれる巨大な勢力が今もある。またそれを許しているのも僕らなのだということを忘れてはいけないと思います。

【森 達也氏】
映画監督、作家。オウム真理教を追ったドキュメンタリー映画『A』『A2』で国内外から高い評価を受ける。著書に『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『A3』(集英社インターナショナル)など多数

取材・文/田中裕司 尾原宏之 志葉 玲 桐島 瞬
― 東電「一般社員」の声に出さない悲鳴【7】 ―

放送禁止歌

「放送しない」の根拠に迫る




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