ジーコ悲痛「日本代表は同じ過ちを犯していた」「日本のサッカー協会から返事がなかった」
’02年に日本代表監督に就任、ジーコJAPANを率いて’06年のドイツW杯に挑むもグループリーグ敗退。その後、トルコ、ウズベキスタン、ロシア、ギリシャ、イラク、カタールで監督を務めたジーコは、今、インドにいるという。発足してまもない「インド・スーパーリーグ」での日々、先日出馬を断念したFIFA会長選への思い、そして、現在の日本代表への提言を聞くべく、ノンフィクションライターの田崎健太氏が現地に飛んだ!
――あなたが国際サッカー連盟(FIFA)会長選挙に立候補の意思を表明したというニュースを見たときは少し驚きました。あなたはいわゆる“サッカー政治”からは距離を置いた人間だと思っていたので。
ジーコ:(大きく手を広げて)そんなことはない。おかしなことがあれば昔から発言していた。ただ、今回立候補しようとしたのは、FIFAを変えるチャンスだったからだよ。一番の問題はW杯開催地を含めて、24人の理事がすべてを決めていることだ。そのうちの何人もが逮捕されている。これは異常なことだよ。W杯を始めとして、サッカーは大きなビジネスになっている。その世界を牛耳っているのは誰だ? サッカーのことはサッカーの人間が決めるべきではないのか?
――現会長のゼップ・ブラッター、前会長のジョアン・アベランジェ共にサッカー選手としてのキャリアはない。
ジーコ:私は今、62歳。サッカーの世界で40年仕事をしてきた。しかし、(前々会長スタンリー・ラウスを含めて)3人の会長しか知らない。ブラッターは何年FIFAの会長をやっているんだ? その前のアベランジェは? 権力の継続は腐敗の根源だ。ブラジルサッカー協会も同じだ。私はそれをずっと批判してきた。
――今回の選挙では、残念ながら立候補に必要な5つの協会の推薦を得ることができませんでした。日本協会の推薦は取れなかったんですか?
ジーコ:立候補に当たって10項目の改革案を記し、支持を求めるメールを全世界、200以上のすべての国
のサッカー協会に送った。中でもイタリア、日本、トルコ、ブラジル、ウズベキスタン、イラク、カタール……私が仕事をした国の協会には最初に送った。
――日本からすぐに連絡はありましたか?
ジーコ:(顔をしかめて)何もなかった。
――えっ? 返事がなかった?
ジーコ:ああ。今年の6月、解説の仕事でベルリンで行われたチャンピオンズリーグ決勝に行った。そのとき、田嶋(幸三・日本サッカー協会副会長)に会って、立候補の説明をした。メールを送ったのはその後、8月だった。返事がないので(日本代表監督時代に通訳だった)鈴木(國弘)に「田嶋とコンタクトをとってくれ」と頼んだ。メールは受け取ったようだが……。
――それ以上のリアクションは、なかった。
ジーコ:お前はインドに来るというメールをくれた。こちらは「まだスケジュールは決まっていない。それでも良ければオッケーだ」と返事した。それと同じで、どんな答えであれ、返事をするのは当然だと思うんだ。返事がないのは誠意がないと思わないか? ものすごく悲しかったよ。
――あなたは日本代表監督でしたからね……。
ジーコ:推薦を検討する、今はできない、幸運を祈る、どんな答えでもいい。推薦と投票は違うんだ。推薦をして、後から私の提案が投票に値するかどうか検討すればいい。私は日本のサッカーのために貢献してきたつもりだ。その私に返事を出さないというのは、(皮肉っぽく)私以上に日本のサッカーに貢献してきた会長の候補者がいたんだろうね。
◆日本代表は同じ過ちを犯していた
――日本代表の試合についてはご覧になっていますか?
ジーコ:最近の試合はきちんと見ていないんだ。最近だと……去年のW杯だな。非常にがっかりさせられた結果だった。私が監督をしていたときと同じ過ちを犯していた。
――同じ過ち?
ジーコ:日本の選手の悪い癖に、ゴールを奪われると意気消沈してしまうことがある。サッカーでは失点は試合の一部だ。ところが、点を取られると精神的に崩れてしまうんだ。例えば、グループリーグ3試合目、コロンビアとの試合。1点を先取された後、同点に追いついた。しかし、また1点取られるとパニックになり、失点を重ねた。
――結果は1対4。グループリーグ敗退でした。劣勢になったときに立て直すメンタルの強い選手がいない。
ジーコ:それを期待されたのは、香川と本田だったろう。彼らはチームの中で欠かすことのできない重要な存在だ。チームを背負う選手なんだ。率先して走り回り、戦い、手本とならなければならない。リーダーシップが要求されるんだ。香川は日本サッカーの顔のようなものだ。ブラジルにおけるネイマールだ。しかし、香川は何も違いを生み出すことはできなかった。
――現在の代表選手はかつてよりも国外でプレーしており、技術的にはレベルが高い。しかし、戦う姿勢が足りないような気もします。
ジーコ:代表である誇りは一番大切だ。一般的に日本人の選手は、規律も守るし、真面目だ。しかし、勝ちたいという気持ち、あと少し何かが欠けている。私が代表監督をやっているときでも、負けた後、冗談を言っている選手がいた。私はそういう選手を代表には選ばない。私が欲しかったのは、最後の1分まで戦う気持ちを持った選手だ。終了の笛が鳴るまで戦う選手を選んでいった。私が監督をしていたときの中心選手、中田(英寿)、中村(俊輔)、中澤、宮本たちは戦うスピリットを持っていた。今の代表にはそういう選手が足りないような気がする。
※このインタビューは週刊SPA!11/17号のインタビュー連載「エッジな人々」から一部抜粋したものです
【Zico】
1953年3月3日生まれ。14歳でフラメンゴに入団、23歳でブラジル代表に選ばれW杯3大会に出場。ブラジル年間最優秀選手(’74、’82)やFIFAW杯ベストイレブン(’82)に輝く。現役引退後は監督として日本代表を、その後CSKAモスクワ(ロシア)などを率いて現職
<取材・文・撮影/田崎健太>
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