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正月に集まると必ず一人はいる、インチキおじさんの思い出――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第24話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか——伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第24話】インチキおじさん登場  漫画家のさくらももこさんが亡くなった。  さくらさんといえばやはり「ちびまるこちゃん」だが、そのアニメ版の主題歌である「おどるぽんぽこりん」に印象深い歌詞がある。B.Bクイーンズが歌い、さくらももこさんが作詞したものだ。サビの印象的なフレーズを覚えている人も多いのではないだろうか。  この歌は全体的にナンセンスな歌詞で構成されているという特徴がある。まるで不条理な趣を狙ったかのようなフレーズが随所に存在するのだ。  その中でも特に異彩を放つのが「インチキおじさん登場」のくだりである。全体的にナンセンスな歌の中でも、この部分の不条理さは際立っている。お鍋の中から、ボワッと、インチキおじさんが登場してくるのである。こちらに考える隙すら与えない圧倒的な力がある。  ただ、不条理だ、ナンセンスだと言っても、現実に全くあり得ないわけではない。基本的におじさんとはインチキなものだ。その部分は仕方がない。問題は鍋の中からボワッと出てくる部分なのだ。そこさえクリアすればこの歌詞の不条理は随分と解消される。  インチキおじさんに思いを馳せてみる。  どんな人でも親戚の中に「ダメなおっさん」がいると思う。完全に暴論なのだけど、ちょうどこの正月の時期に日本各地で見られるように、親族を集めた場合、その集まりの中に必ず一人はそういったおっさんが配備されているものだ。国が推奨しているかと思うほどだ。  そんなおっさんは、大人たちにはあまり相手にされていないし、下手したら何の仕事をしてるのかもよく分からないのだけど、子供たちにはやけに人気があったりする。面白い遊びを教えてくれたり、ちょっとした小物をくれたり、小遣いをくれたり、悪いことを教えてくれたりなどなど。子供たちの心を掴むのが上手くて大人気だ。  僕の親族にもそういったおっさんがいて、子供たちに大人気だったのだけど、この人がまあ、今考えるとかなりの「インチキおじさん」だった。  「お年玉をやろう」  そういってお正月にポチ袋をくれる。手に持つとズシリとした厚みがあった。とんでもない札束が入っていると色めき立つが、開けてみるとレシートの束が入っていたりする。完全なるインチキだ。  「おかしをやろう」  そう言って、なんか包みに入った生理用品と間違えてしまいそうな高級菓子が何個か入った紙袋をくれたことがあったが、なぜか超絶技巧のマジックを駆使し、気づくと紙袋の中身は空になっていた。何がしたいんだ。  そんな感じで、我が親族のインチキおじさんは、ユーモアがあって幼い子には人気があったけど、成長していくにつれて「なんだこいつ?」「本当はしょぼい大人なのでは?」「でも手品は上手い」などと本性を見抜かれてしまうことになっていた。だいたい、変なマジックを見せるより、本当にしっかりとしたお年玉をくれる大人の方が偉いのだ。  「こいつしょぼいんじゃね?」  そう思えてきて、他の親戚の人たち、ちゃんとしたお年玉をくれる立派な大人たちから向けられるおじさんへの視線がずいぶんと冷ややかであることに気が付き始める。やはりインチキおじさんではダメなのだ。
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インチキおじさんは起死回生をはかろうと、とんでもない策に出た
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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