更新日:2017年11月22日 15:51
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大仁田厚はデビュー40年“完全無欠の教祖様”【試合ルポ・2015年】

大仁田厚

Photo Credit:MASA HORIE

 正真正銘、完全無欠の大仁田ワールドである。いわゆる平日の水曜の夜(5月20日)に東京・新宿歌舞伎町のいちばんコアな場所に位置する雑居ビルの7階の、それほど大きくないプロレス専用アリーナに足を運んでくる人びとは、プロレスファンのなかでもきわめてマニアックな層であることはまちがいない。そして、そこに行けば必ず“それ”を目撃、体感することができる。  この日のメインイベントは、FMW軍対W★ING軍のストリートファイト有刺鉄線ボード・トルネード式8人タッグマッチ60分1本勝負。  FMW軍のメンバーは大仁田厚(おおにた・あつし)、田中将斗(たなか・まさと)、保坂秀樹(ほさか・ひでき)、横山佳和(よこやま・よしかず)の4人。W★ING軍は金村キンタロー(W★ING軍として試合をするときはW★ING金村)、村上和成(むらかみ・かずなり)、NOSAWA論外(のさわ・ろんがい)、ジ・ウィンガーの4人。  ストリートファイトとはもちろん“街のケンカ”という意味で、選手たちはだいたいの場合、ジーンズとTシャツを着用して――いってみれば、それがFMWテイストの隠し味なのだが、スニーカーやふつうのクツではなくてジーンズの上からプロレス用のリングブーツをはいて――試合をおこなう。  ストリートファイトだから、リング内だけでなく場外でも闘うことができる。ようするに、お客さんが座っている観客席を含めた会場全体が試合場になる。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=857028
大仁田厚

Photo Credit:MASA HORIE

 有刺鉄線ボードは、かんたんにいえば畳一畳分くらいの大きさのベニヤ板に有刺鉄線(より合わせた針金に、短く切った針金のトゲをつけたもの。バラ線)を張りめぐらせたもの。試合中は“凶器”として使用される。  トルネード式タッグマッチとは、通常のタッグマッチで義務づけられている選手交代のためのタッチを必要としないタッグマッチ。4人タッグマッチなら4人が、6人タッグマッチなら6人が、8人タッグマッチならば8人が自由に入り乱れて闘う試合形式だ。  試合開始前にはリング・アナウンサーから「レフェリーがとくに危険と見なした行為以外、すべての反則攻撃が認められます!!」という“定番”の説明がある。この前口上は元祖FMW時代からの伝統的なしきたりとなっている。  現在のFMWはいったい何代目のFMWなのだろう。いちばん最初のFMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)は大仁田、ターザン後藤らが中心となり1989年(平成元年)に発足。インディペンデント、あるいはインディー系というカタカナ語がプロレス団の分類に用いられるようになったのもFMWが最初だった。  大仁田一座のFMWは“何が飛び出すかわからない”をキャッチフレーズに大仁田考案のデスマッチ路線が大ブレークし、5月5日の“こどもの日”(91年~96年、92年度大会のみ横浜スタジアム)に川崎球場で開催されるビッグイベントに毎年3万人クラスの大観衆を動員する人気団体に急成長した。  大仁田は95年(平成7年)5月、川崎球場で引退興行をおこないFMWを後進にバトンタッチしたが、翌96年12月にカムバック。その後は何度も引退宣言―復帰をくり返し、現在に至っている。
大仁田厚

Photo Credit:MASA HORIE

 91年(平成3年)にはFMWからのスピンオフ団体W★INGが旗揚げ。そのW★INGもW★INGプロモーションに枝分かれし、94年(平成6年)にはさらにそのスピンオフのIWAジャパンが誕生した。  創設者・大仁田と袂を分かったFMWは、ハヤブザを新エースに新生FMWとしてエンターテインメント路線を歩んだが、2002年(平成14年)に倒産。その後はハヤブサ派のWMF(レスリングス・マーベラス・フューチャー)、金村派のアパッチプロレス軍などが後発団体として活動。近年はスーパーFMW、真FMW(ターザン後藤派)といったグループがFMWを名乗った。  ことし3月に新たに設立されたばかりの現在のFMWの正式名称は「超戦闘プロレスFMW」。経営母体の株式会社FMWプロモーションの高橋英樹社長は第1期FMWに営業スタッフとして在籍していた人物だ。  大仁田がいて、ハヤブサが協力し、金村をリーダーとするW★ING派閥が大仁田派閥の敵役となり、さらに超電戦士バトレンジャー、リッキー・フジ、ミス・モンゴルといった旧FMWの脇役たちが顔を揃えた超戦闘プロレスFMWは、FMW系譜の正統な後継団体といっていい。  FMWのプロレス、というよりも大仁田ワールドは3D感覚で観客を巻き込むプロレスである。  大仁田が2リットルのペットボトルに入れた水をそこらじゅうにまき散らしながら花道に登場してきた。濡れたくなければそこから逃げなければならないけれど、たいていのお客さんは逃げないで、むしろ大仁田がいる方向に近づいていく。大仁田のハイな状態がいっきに観客席にも伝染していく。  ストリートファイト――という形のプロレス――の8人タッグマッチは、いつ試合開始のゴングが鳴ったのかわからないような状況のなかでいつのまにかスタートしていた。あちらでも、こちらでも2選手ずつ、あるいは3選手、4選手がひとかたまりになっての乱闘がはじまっていた。セコンド陣が乱闘シーンのすぐ外側に立って、観客をガードする。  もちろん、そこにいるお客さんがじっさいに場外乱闘に巻き込まれてしまうわけではないけれど、手を伸ばせば届くくらいの距離で殴る、蹴る、壊れたテーブルの破片やパイプ製のイスで相手の脳天をぶったたくといったシーンを目撃すると、観客の体も自然に上下左右に揺れる。なかには濡れた床に足を滑らせて転ぶお客さんもいる。 「お気をつけください! お気をつけください! 選手から離れてください! 選手から離れてください! たいへん危険です!! たいへん危険です!!」  注意をうながすリング・アナウンサーの声もだんだんと裏返ってきて、それがまたアリーナ全体をハイにしていく。  ストリートファイト有刺鉄線ボード・トルネード式8人タッグマッチは、大混乱のリング上で大仁田が十八番サンダーファイヤー・パワーボムでNOSAWA論外から3カウントを奪ったところでジ・エンド。  試合終了後は、大仁田の大絶叫のマイクアピールの時間である。 「40年、40年、40年だ。オレだって痛えんだよ。ああ、痛え。オレが40年もプロレスをやってこれたのは、やってこれたのは、やってこれたのは、プロレスが好きだからだ!!」 「一生にいっぺんくらい、一生にいっぺんくらい、一生にいっぺんくらい、自分の好きなもんを思いっきりやってみろ!!」  アリーナ席のほとんどの観客がリングサイドに集結してきて、ラストシーンはもういちど大仁田によるペットボトルの“聖水シャワー”。水をぶっかけられて怒るお客さんはもちろんひとりもいない。その瞬間、大仁田は問答無用の教祖さまなのである。
斎藤文彦

斎藤文彦

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ ※「フミ斎藤のプロレス講座」第38回 ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
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