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ちょっと遠回りしてプロレス愛にたどり着いた“横綱”曙

曙 曙(あけぼの)が全日本プロレスの春の本場所『チャンピオン・カーニバル』に初優勝した(4月25日=東京・後楽園ホール)。  “横綱レスラー”曙にとっては同公式リーグ戦4年連続4度目の出場でようやく手にした優勝杯。昨年度大会はシリーズ開幕戦から3試合出場したところで肺炎による緊急入院――相撲用語でいえば“休場”――で途中欠場。今大会は仕切り直しの意味をこめたリーグ戦エントリーだった。  “プロレスの父”力道山(りきどうざん)と“ミスター・プロレス”天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)のふたりをあくまでも別格とするならば、曙は大相撲からの転向でもっとも成功したプロレスラーである。  大相撲時代の番付最高位は力道山が関脇、天龍が前頭筆頭だから、第64代横綱の曙は番付ではこのふたりよりも上だ。  日本のプロレス史で元横綱からプロレスへの転向は東富士(あずまふじ)、輪島大士(わじま・ひろし)、北尾光司(きたお・こうじ)、そして曙の4人がいる。  東富士(1921-1973)は1955年(昭和30年)3月、第40代横綱からプロレスに転向。デビュー後すぐに力道山とのコンビでハワイ・タッグ王座を獲得したが、どちらかといえば力道山の“引き立て役”に終始し、レスラー生活は4年で引退した。  第54代横綱・輪島(1948年1月11日生まれ)は1981年(昭和56年)3月の引退から5年5カ月後、ギャンブルによる借金と年寄株売買のスキャンダルを抱え、1986年(昭和61年)8月に38歳という“高齢”でプロレス転向。全日本プロレスに入団したが、2年後の1988年(昭和63年)12月に引退。  第60代横綱だった北尾(1963年8月12日生まれ=シコ名は双羽黒)は親方とのトラブルで1987年(昭和62年)12月に廃業し、“スポーツ冒険家”という肩書でタレント活動後、1989年(平成元年)6月にプロレス転向。1990年(平成2年)2月、新日本プロレスの東京ドーム大会でバンバン・ビガロを相手にデビューしたが、その後、総合格闘家に再転向して北尾道場、武輝道場を主宰。1998年(平成10年)に引退した。  史上初の外国人横綱である曙(1969年5月8日、米ハワイ・オハフ島生まれ)は、2001年(平成13年)1月に引退後、東関部屋付・曙親方を経て、2003年(平成15年)にプロ格闘家に転向した。  K1(キックボクシング)での戦績は9戦1勝8敗、MMA(総合格闘技)での戦績は4戦0勝4敗。元横綱のプロ格闘家転向は大きな話題となったが、お相撲さんにキックボクシングをやらせるという舞台設定にはやや無理があった。  プロ格闘技と並行して2005年(平成17年)からはプロレスのリングにも上がるようになり、WWEの“レッスルマニア21”(2005年3月29日=ロサンゼルス)ではビッグショーを相手に相撲のエキシビション・マッチをおこなったこともある。  少年時代からプロレスファンだったという曙は、大相撲から引退後、プロレスへの転向を希望していたというが周囲の反対で当時人気の高かったK1を選択したという経緯がある。  曙の出身地のハワイでは70年代から80年代にかけて毎週土曜の夕方に米本土のプロレス番組が放映されていて、「その時間になるとみんな家に帰ってテレビを観るから、公園や道ばたから男の子たちがいなくなっちゃう」ほどの人気だった。  プロレスのキャリアはすでに10年。デビューからの8年間はフリーの立場で国内の各団体のリングに上がっていたが、2013年(平成25年)9月に新体制となった全日本プロレスに正式入団した。  輪島、北尾ら過去の元横綱レスラーと曙の根本的なちがいは、曙自身がプロレスが大好きで、プロレスの試合を心からエンジョイしていることだろう。プロ格闘家時代の曙はテレビの一般視聴者とマスメディアの好奇の目にさらされるだけだったが、いまの曙はプロレスファンから愛されている。  現在46歳だが、「子どもたちが大学を出るまでは」プロレスをつづけるつもりで、正月休みもお盆休みもないプロレスの年間スケジュールは「横綱時代よりも忙しい」という。  プロレスのリングでこれまでに手にしたタイトルは三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座、アジアタッグ王座(いずれも全日本)、世界ヘビー級王座(ゼロワン)など。1973年(昭和48年)の第1回大会から数えて今年で43回目の開催――1983年から1990年までの8年間はリーグ戦はおこなわれず『グランド・チャンピオン・カーニバル』の名称で長期シリーズ興行――となる『チャンピオン・カーニバル』公式リーグ戦優勝は、大相撲でいうと幕内最高優勝。“春の本場所”というキャッチフレーズは、大相撲の本場所のイメージであることはいうまでもない。  プロレスラーとしてのタイプはいわゆる“超巨漢”で、得意技は体格をいかした助走つきボディープレスや全体重をかけたエルボードロップ。フィニッシュ技はきわめてオーソドックスなパイルドライバーで、この技にはヨコヅナ・インパクトというオリジナルのネーミングがつけられている。 『チャンピオン・カーニバル』公式リーグ戦決勝戦で諏訪魔(すわま)を下して優勝を決めたあとのリング上でのマイク・アピールが――カビの生えたいいまわしではあるけれど――日本人以上に日本人らしかった。 「やっと『チャンピオン・カーニバル』に優勝できました。これもみなさんの応援のおかげです」 「去年はプロレスがもうできないかと思いましたが、毎日毎日努力して、またここまで来ました 「万歳三唱をやらせていただきたいと思います。ぼくが“全日本!”と言ったら、みなさんが“バンザーイ!”。これを3回、お願いします!」  バックステージで報道陣とのかんたんな質疑応答をすませると、“横綱”曙は上機嫌で席を立った。 「……まあ、きょうはこんなとこでいいスか? もう、おなか空いちゃったんで」 文/斎藤文彦 ※「フミ斎藤のプロレス講座」第36回 ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
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