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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(21)

 まだ第二クーにもかかわらず、優子は決めに行ったのだ。

「またかよ」

 三番ボックスの才川が、吐き捨てるように言った。

 これにも優子は、薄い作り笑いで応える。

 一番ボックスにベットの順が戻り、百田がすこし考えていた。

 六番ボックスに付き添うべきか、否か。難しいところなのだろう。

 ここで優子にまた勝利されてしまえば、トップとの差が約200万ドルとなってしまう。

 競馬でいえば、ゲートが開き150メートル先の第一コーナーを曲がるまでに、しかも先行馬はまだひと鞭もくれていないのに、すでに20馬身以上の差がついた、といったところか。

 しかし、百田は動かなかった。

 いや、行けなかったのだろう。

 第二クーにおける百田のベットは、バンカー・サイドにミニマムの1万ドルだった。

 誰も、最初の「トビ」にはなりたくない。

 最初でも四番目でも、結果は同じなのだが。

 ディーラーが、

「ノー・モア・ベッツ」

 と言ってから、第二クーのカードを開いてみれば、プレイヤー側がコン(=絵札)にセイピンのガオ(=9)がひっつき、「ナチュラル・ナイン」である。

「アイヤアァ~ッ」

 と再びの叫び声。

 カジノでは、「アイヤアァ」がやたらと多いのである。

 バンカー側は、第一クーとは異なるカードだったが、モーピンの3にリャンピンの4で都合7という上等な持ち点を起こしながらも、沈没した。

 ――Seven never wins.

 のケースが二手連続している。

「ふう~っ」

 という大きな安堵の吐息が、優子の口から漏れた。

 優子のベットに、また10枚の10万ドル・チップがつけられる。

 同席の打ち手たちから、だいたい200万ドル分の単騎先行状態である。盤石の位置とはいえないまでも、以降の展開はおそろしく有利となるはずだ。

「ネクスト・ベッツ、プリーズ」

 とディーラーの少女が、第三クーへのベットを促した。

「口切り」は三番ボックスの才川に移動している。

 すこし考えてから、才川が10万ドル分のチップを、プレイヤーを示す枠に置いた。

 四番ボックスも五番ボックスも、10万ドルのプレイヤー・サイドへのベットである。

 もう動かないと、追いつけなくなってしまう。

 そう考えたのだろうか。

 そしてプレイヤーの3目(もく)ヅラを狙っていた。

 さて、六番ボックス・優子のベットの番だ。

 サイドは不明だが、もう一本マックス・100万ドルで行くのだろう、と良平は予想した。

 負けても他の打ち手たちとは100万ドルの差で、先行を保てる。

 勝ったりしたら、300万ドル分のカマシ独走状態で、圧倒的優位を築けるのだ。

 優子はしばらく考えていた。

 逡巡を振り切った顔で、ミニマムの1万ドルをバンカー・サイドに賭ける。

 そして同席の者たちに、涼しく笑いかけた。

 ――さあ、あなたがたは勝手に自滅してくださいな。

 とでも言っているかように。

 優勝賞金8000万HKD(1億2000万円)を狙っている人間の顔ではなかった。

 優子の表情が、オフィスで事務処理をしているそれに戻っている。

 ――「賭神」か?

 良平は自分の眼を疑った。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(22)

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(20)

 たとえプレイヤー側にベットしている者がこの手を負けようとも、失うのは1万HKDのみ。その代償に、優子が飛んで、敵は一人減る。

 だから、バンカー。どうしても、バンカー。

 同席者たちは、プレイヤー側に賭けていようとも、そう願うのである。

 ディーラーの掌が、シュー・ボックスに伸びた。

 プレイヤー側三枚目のカードを引き抜く。

 突然の静寂が、バカラ卓をおおった。

 誰もの視線が、ディーラーの指先のみに集中する。

 バカラ大会決勝テーブルを、じりじりと焦げつくような緊張が包んだ。

「ハン」

 と言ってから、ディーラーがプレイヤー側三枚目のカードを、シュー・ボックスから抜き出した。

 二本の指先で、くるりとひっくり返す。

 開かれたカードがその素性を現すと、

「アイヤーッ」

 の大合唱。

 優子を除く決勝進出メンバーのすべてが恐れていたように、そのカードは「サンピン負けなし(=1プラス6か7か8の状態)」である。

 おまけにサンピンのカードの中央上部に点がひとつくっ付き、7。

 1プラス7で、プレイヤー側の最終持ち点は、8となった。打ち手たちが恐れていたごとく、綺麗な捲(ま)くりが決まっていた。

 プレイヤー側・バンカー側にかかわらず、持ち点の7には三枚目のカードの権利はないので、そのままスタンズ(=stands)。

 やはり、Seven never wins.で勝負がついた。

「プレイヤー・ウオン。エイト・オーヴァー・セヴン」

 と無感情に英語で結果を読み上げると、ディーラーはバンカー枠に置かれたチップに掌を伸ばし、フロートに収めていった。

 そして、プレイヤー枠に、ベットと同額の配当が付けられる。

 優子の六番ボックスには、勝ち分の10万ドル・チップ10枚が置かれた。

 蒼ざめていた優子の頬に、ささやかながら血の気が戻っている。

「大会の決勝テーブルで、初手からオール・インなんて、バッカじゃなかろか」

 と一番ボックスの百田が憎々し気に言った。

「負けたら、そうですね」

 相手は客だ。差し障りが生じないように、優子が小声で応える。

 声が震えていた。

 声だけではなくて、短めのスカートから露わになっている膝も震えていた。

 配当が終わり、

「ネクスト・ベッツ、プリーズ」

 と、ディーラーの少女が次のベットを促した。

 まだ第二クーである。

 賭ける参考となる(はずの)ケーセンは、できあがっていない。

 二番ボックスが、「口切り」の責任を負っていた。

 大阪の釜本は、表情を変えずにミニマムの1万HKDでプレイヤー・サイドにベットした。まだ気合いを込める場面ではない。

 サイドは異なれど、三番・四番・五番ボックスと、二番ボックスにつづきミニマム額のベットが置かれていく。

 さて、六番ボックスの優子の番だ。

 今度はそれほどの躊躇も見せず、優子はプレイヤーを指定する枠に、10万ドル・チップ10枚をどかんと載せた。

 再びのマックス・ベット。

「ひゃっ!」

 の声が、五番ボックスの小田山から挙がった。

 他の同席者たちは、大きく息を呑んだ。

 先ほどとは対照的に、優子の顔が紅潮している。

 こめかみに浮かんだ血管が、優子の早鐘のような心拍を示した。

 彼女は、ここが勝負手、と判断したのだろう。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(21)

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(19)

「おおっ!」

「わっああ!」

 とか、

「行ったあああっ」

「ぎゃっ!」

「ふひゃっ!」

 と異なる叫び声が、同席者5人のすべての口から同時多発的に発せられた。

 打ち手たちの背後で、決勝戦を監視・監督・審判も兼ねる良平の口からも、言葉にならぬ空気音が漏れる。

「一発目からオール・インかよ」

 と、あきれた顔の小田山。

 蒼ざめた優子が、隣りボックスの小田山にゆっくりと頷く。

 微笑もうとしているのだろうが、口元が引き攣っていた。

「ノー・モア・ベッツ」

 の声がディーラーの少女から発せられ、もう後戻りはできない。

 一枚目がプレイヤー、二枚目がバンカー、三枚目がプレイヤー、四枚目がバンカーと、シュー・ボックスからカードが引き抜かれた。

 二枚ずつ重ねられ指定の場所に一旦置かれると、ディーラーが無表情にカードを開いていく。予選と同様に決勝卓も、フェイス・アップ(打ち手たちはカードに触れられない)のルールだ。

 まずプレイヤー側が、リャンピン・サンピンのいわゆる「不毛の組み合わせ」。4と7が開かれて、持ち点1となる。

「はっ、はっ、はっ」

 と、安堵とも嘲笑ともとれる声が同席者たちの口から噴き出した。

「ハン(=プレイヤーを指す広東語)、ヤット(=1)」

 と言ってから、ディーラーがバンカー側の二枚のカードをひっくり返す。

 2と5のカードで、

「チョン(=バンカーを指す広東語)、チャッ(=7)」

 と少女が読み上げた。

 それまでは、「不毛の組み合わせ」の持ち点1だったプレイヤー・サイドを舐め切っていた、一番から五番ボックスまでの打ち手たちが、ここで同時に、

「うっ」

 という苦し気なうめき声を発した。

 二枚ずつを開いて、持ち点が1対7なら、後者のバンカー・サイドの方が圧倒的に有利はなずだが、経験的にバカラの勝負とは、そういうものでもない。

 とりわけこの状態では、モーピンとリャンピンという「肥沃の組み合わせ」を持ちながらも、しかし一発で「ナチュラル・エイト(つまり、プレイヤー側が三枚目のカードの権利を失う)」を起こせなかった。肥沃な土壌に作物が育っていない。ここが、つらいところなのである。

 二枚引きか、あるいは三枚引きでもそうなのだが、1点足らずの7の持ち点で終わると、後方からの捲(ま)くりが飛んでくることがある。いや、あるというより、そういうケースが多かった。

 世界中のカジノのバカラ卓で、

 Seven never wins.

 と呼ばれる状態である。

 これは、ラスヴェガスでもモナコでもシンガポールでもマカオでも、英語でそう言われていた。

 こういった局面での敗北の記憶が強烈なだけで、実際にはもちろん7で勝つことはあるのだが、なぜか確率的には考えられないほど多くのケースで、捲くられてしまう。

 それゆえの、同席者たちの苦しいうめき声だった。

 この場この時、優子を除く打ち手たちは、バンカー側・プレイヤー側のどちらのサイドに賭けていようが、バンカー側の勝利を望んでいたはずだ。

 ところがプレイヤー・サイドは、首の皮一枚を残してまだ生きて(=チャオ)いる。(つづく)

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第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(18)

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第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(17)

 決勝戦の開始まで、1時間ほどあった。  良平がオフィスに戻ると、優子がiPadを操作しながら、サンドウイッチを頬張っている。  大会参加者たちから依頼された案件が、どうやらまだ片付いていないようだ。  優勝賞金は800 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(16)

 28クーめでは順に、一番ボックスの小田山が、30万ドルのプレイヤー・ベット。  五番ボックスの北海道の打ち手と2番手に着けた六番ボックスの広告屋が、共に20万ドルのバンカー・ベット。  まだ、お互いに出方を窺っている状 […]

第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(15)

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第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(14)

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第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(13)

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第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(12)

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