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森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(17)

 わたしがとてつもない幸運に巡り合っていたのは、事実であろう。

 しかしほとんどの人たちにも、とてつもない幸運に巡り合う機会はあった、とわたしは考える。

 多くの場合、それが幸運だと気づいたときに、すでに幸運は過ぎ去っているものなのだ。

「運」の潮目が見切れない。

 もちろんこの説の一般化は、できないはずだ。

 それでも、以上はわたしのきわめて個的・経験的な解釈である。

 リスクを冒さずに、ぽかんと口を開けて眺めていると、「運」はさっさと通り過ぎてしまう。

 カジノの勝負卓では、自分のものでは難しくても、他人のそれがよく見えるのだ。

 そして、過ぎ去られてから、ああ、もしかしてあれが幸運というものだったのではなかろうか、と気づく。遅いんだよ、あんた(笑)。

 英語の諺(ことわざ)では、

 ――幸運の女神は、前髪を掴(つか)め。

 とある。

 なぜなら、幸運の女神の後頭部は禿げている。後ろ髪がないからだ。

 ちょっと付け加える。

 例外もあるのだろうが、幸運というやつは、ただ待っているだけでは、なかなかやって来てくれない。

 それゆえ、自ら「運」を引き寄せる作業、という地道な営為ないしは努力が必要となる。

 どうやって?

 それに関しても、一般論は成立しえないのだろう。しかし、わたしのきわめて経験的かつ個的な理解は存在する。

 すなわち、繰り返して述べている「経験の自覚化」だ。

「形の記憶」の形成と呼んでいいのかもしれない。

 ただし、成功体験は信じるな。失敗体験のみを信じよ。

 わたしはそうやって、ハイエナだの熊だの大蛇だのがうじゃうじゃいるジャングルで、生き残ってきた。

 成功体験などという甘美な記憶に縋(すが)っていたら、ひとたまりもなく連中に喰い千切られていたことだろう。

 さて、子供の出産をおえると、妻は地元の大学大学院で博士課程に進んだ。

 これで生活が安定する。

 大学院などに行ったら、学費などでさらに困窮化すると思う人も居るかもしれないが、まったく逆だった。

 学費は全額免除。それだけではなくて、国から結構な額の返済不要の奨学金が与えられた。

 サッチャー以前の英国である。

 充分とは言えないまでも、社会保障と基礎研究のインフラはしっかりとしていた。

 想い返してみると、サッチャーという首相は、「民営化」を錦の御旗とし、つくづく英国の社会構造とモラル構造を破片化・破壊したと思う。中曽根康弘大勲位は、サッチャーを尊敬し、かつその真似を試みて、やはり同様な日本における「社会崩壊」の結果を生み出した。なにが「真の保守」だよ、バ~カ。

 話を戻す。

 借金なしで、かつ結構な持ち家はある。それなりの奨学金で、飢える心配も最低限なくなった。

 子供は母乳で育てている。朝、大学に通う前の妻の乳絞りくらいしか、わたしにはやるべきことがない(笑)。

 書きたいことはいろいろとあるのだが、ここいらへんもわたしの賭博履歴とは無関係なので、省略する。(つづく)

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番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(16)

 ある晩、賭博テーブルでウエブスターのイカサマが発覚した。指摘した方も指摘された方も、お互いの名誉を護るために決闘となった。

 テーブルのイカサマ師が慣れないことなどやるものではない。

 生死を懸けた大一番ではどうやらイカサマは通用しなかったようで、ウエブスターは、あえなくご昇天。

 ウエブスターの後釜として「儀典長」の職を得たのが、オックスフォード大学法学部を中退しギャンブラー兼ジゴロを職業とした変わり種のリチャード・ナッシュという男だった。

 ナッシュは宿泊施設、劇場や賭博用集会場を次々と整備し、バースをヨーロッパ大陸を含めても屈指のリゾート都市と変身させた。

 ちなみに明治期ロンドンに留学した夏目漱石は、18世紀の英国社会のギャンブル狂いを、

 ――社会全体が一大賭博場、

 と説明している。

 ローヤル・クレッセントとかサーカスとかパラゴンとかいう名の超高級集合住宅区域がバースにはある。

 半円形ないしは三日月形の建物群だ。

 なんでそんな奇妙な形をした建造物なのか? 

 夜中であろうとも、どの部屋で博奕(ばくち)開帳の灯りが洩れているかわかるように、そう設計したのだそうだ。

 1970年代後半、そんな「ギャンブル都市」であるバースに、わたしは一軒家を構えた。

 しかも、賭博からのアガリで(笑)。

 新居の家具を整える間もなく、子供が生まれた。

 義父の手配で入院できたブラッドフォード・オン・エイヴォンのプライヴェート・ホスピタルでの出産だった。

「泣き声の大きさだけなら、西イングランド1」

 と産院のシスターに言われた元気な男の子の眼の前にして、博打うちの父親の心境は複雑だった。

 いままでは幸運だった。しかし、将来の保証は皆無。

 ゼロ、ナッシング。

 喰っていけるのか、それとも飢えるのか。

 余談となるが、バースに6年ほど住んでから、我が家族はオーストラリアに移住している。

 英国を去るときに、この家を5万2000ポンドで売った。

 この稿を書くにあたって、あの家のその後が気になり、ちょっと調べてみた。

 いろいろと大掛かりなリノヴェーションはしたのだろうが、一昨年春(2018年)のオークションで、なんと200万ポンドを超す金額で落札されていた。

 長く生きていれば人間だれでも、一度か二度は金持ちになるチャンスがあるみたいだ(笑)。

 問題は、そのチャンスをモノにできるかどうなのか。

 ただ、次のように断言しても構わないのだろう。

「四点確保」で現状に必死でしがみついていては、幸運のほうだって訪れようがないではないか、と。

 先述したが、そしてこれからも何回でも繰り返すつもりだが、

 ――リスクを冒さないのは、最大のリスクである。

 ロンドンのグリーン・パークのクラブで起きたツラは、間違いなく幸運だった。いや僥倖(ぎょうこう)と呼んだほうがいい。

 その後、バースという「ギャンブル都市」に移り住めたのも、同様にきわめて幸運だった、といまとなっては想い返す。(つづく)

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番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(15)

 1日お休みして、その次の日から、今度はレッドのツラがよく出るようになった。

 この時は、行ったねえええっ。

 自分に律していたはずのルールを破り、勝ち金を翌日クラブにどさりとまた持ち込んで、逡巡を振り切り恐怖を捨て去り、どかどか行った。

 いまとなって想い返してみれば、20代半ばのガキがロンドンの大舞台でよう行けた、と他人事(ひとごと)のように感心する。

 やはり、博奕(ばくち)では、奇蹟が起こった。

 重要なのは、成功体験を信じてはいけない点だ。

 成功体験を信じると、まず破綻する。

 成功体験は信じないのだが、失敗体験は分析し検証し、そしてその結果得たものを信ずる。

 ロンドンに着いてから4か月後の9月初旬だったと記憶する。

 この年のロンドンの夏は、珍しく暑かったのだが、やっと秋風が頬に優しく感じられる頃だった。

 わたしはロンドンから西に約100マイル、ブリストルから10マイルほど内陸に入るバース(BATH)という人口8万人ほどの都市に、ちょっと気張った一軒家を購入している(笑)。

 賭博のアガリだったから、全額現金での購入だった。不動産屋の驚いた顔を、まだ忘れない。

 ついでだが、テーブル・ゲームでの勝利金は課税対象とならない(マシン系のそれは課税対象)。

 これはおそらく世界中の国でそうなっているはずだ。すくなくともいわゆる「先進国(OECD加盟国)では日本を除きそうなっている。

 なぜか?

 ギャンブルでの勝ち金を課税対象とするなら、当然にも負け金を総収入から控除しなければならない理屈だからである。

 日本の税制度が、きわめて選択的恣意的で異常なのだ。

 話を戻す。

 バースに住んだのは6年間ほどだったが、わたしの賭博履歴に重要な足跡を残した場所だったので、この都市の歴史にすこしばかり触れておく。

 古い町である。

 バース(BATH)というのは、つまり「風呂」のことだ。

 紀元前60年、進軍してきたローマ帝国の軍隊が、ここで温泉を発見した。

 当時のローマ人である。そこに巨大な浴場兼社交場をぶっ建てた。

 その遺跡は、現在でもバース駅前に残っていて、ローマ時代の巨大な社交場の面影を偲ぶことが可能だ。

 ずっと時代が下がると、バースはリゾート地として、ロンドンに次ぐ一大社交都市に変身した。

 経緯はこうだ。

 16世紀後半に、この温泉鉱水の医療効果が発表され、エリザベス1世女王によって市に特権が付与された。

 17世紀になると、共和制で一時追放されていたチャールズ2世が1660年王政復古でオランダから帰還する。このチャールズ2世というのが温泉好きで、バースをたびたび訪問した。それで、この田舎の温泉町に小さな宮廷社会が出現することとなった。

 バース市は王宮対応として、「儀典長」なる役職を新たに設ける。

 その初代「儀典長」に任命されたのが、プロのギャンブラーとして有名だったウエブスターというイカサマ師だったから、歴史は面白い。

 ウエブスターは、公的事業として賭博場をつくり、あらゆる種類のギャンブルを奨励した、と記録に残る。(小林章夫『賭けとイギリス人』、ちくま新書)

 そもそもリューマチや痛風の治療目的で、ブリテン島各地から貴族たちが召使いを大量に従え、療養に来るための都市である。そこに各種賭博場のおまけまでついた。

 バースは社交(ギャンブル)都市として、急激な発展を遂げていく。(つづく)

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