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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

第6章:振り向けば、ジャンケット(5)

 都関良平(とぜきりょうへい)が代表取締役社長を務める会社の名は、『三宝(サムポウ)商会』という。

 マカオの商法に「一人有限公司」という制度があり、株主が一人だけでも、10万パタカ(約140万円)の資本金を当局に示せば、すぐに法人が設立できた。法人登記は、口座への送受金の必要があってしただけで、『三宝商会』がやっていることは、昔も今もまるで「個人営業」だった。

「宮前さんは外港に着くの、それともコタイ?」

「金光飛航ですから、コタイ側ですね」

「あの人なら慣れているから、アテンドはそう難しくない。優子さんにはいい勉強になるだろう。連れはいるの?」

「お連れが二人だそうです。おなじ業界の方だ、とうかがいました。まだわからないことが多いので、そういう際にはアシストをお願いします」

「もちろんだ」

 ここ30年近く日本の経済成長はぴたりと止まっていても、良平には日本の業界ごとの浮き沈みが、ジャンケットを申し込む客層で、手に取るようにわかった。

 良平がマカオに着いた1999年末、ジャンケットの客はゼネコンと土建屋と金融屋とパチンコ業界の関係者がほとんどだった。森喜朗首相がコケて小泉純一郎に代わると、じょじょに土建屋の客数が減っていった。公共事業の「見直し」がおこなわれたからだった。

 土建屋の代わりにマカオのジャンケット・ルームによく現れるようになったのが、貧困ビジネスと特殊詐欺の連中である。

 いずれにせよ、ロクなもんじゃない。

 しかし、どのように暗い過去をもつカネであろうとも、良平にとっては、それがジャンケット・ルームで回ってくれればいいのである。処女のごとく綺麗なおカネにして、戻して差し上げるのが、良平のビジネスの一部だった。

 東日本大震災以降、マカオのジャンケット・ルームで一番盛り上がっているのは、じつは『復興業界』である。死にかけていたゼネコンと土建屋が、盛大に息を吹き返した。

 それはそうであろう。たとえば福島の「復興」なら、六次下請けとか七次下請けの会社までつくって、どんどんと税金と東電のカネを中抜きするのだから、札束が噴水のように湧いて出た。

 おまけにオリンピックである。

 これで、福島の「復興」予算もうなぎ上りに上昇した。

 2010年代に入ると、永田町と霞が関の住人が、ちょくちょく現れるようになっている。これは、2013年になって『特定複合観光施設地域の整備の推進に関する法律案(通称、IR法案、カジノ法案)』が、初めて国会に上程されたこととも無関係ではあるまい、と良平は邪推する。

 スポンサーは誰なのか不明ながら、政治家や高級官僚たちが、マカオの大手ハウスのジャンケット・ルームで博奕(ばくち)に興じていた。

「それじゃ、わたしは行ってきます。車を使いますので」

「お願いします。ところで宮前さんの送金は確認済みなのね?」

「現金で持ってくる、とメールにありました」

「じゃ、フロント・マネーは不明か。現金って、重いんだよな。でもあの人には実績があるから、大丈夫だろう」

 優子が、すこしだけ芳(かぐわ)しい香りを残し、オフィスを去った。

 彼女には、まだ客にあてがう女の世話はできないだろう、と良平は思う。

 ならば、良平が自分でやらなくてはならない。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章:振り向けば、ジャンケット(6)

第6章:振り向けば、ジャンケット(4)

 強い南風が吹いていた。

 都関良平(とぜきりょうへい)は、そのホテルの30階にあるオフィスの大窓から、久しぶりにからりと晴れ上がった半島側を眺めている。

 スモッグは吹き飛ばされたのか。

 今日も外は暑そうだった。

 ホテルのすぐ前を通る史伯泰海軍将軍馬路を越せば、そこはもう南彎となる。

 珠江から流れ込む水の影響なのだが、ここから眺める海の色は、いつも薄茶色に濁っていた。

 タイパ島との海峡を挟んで、グランド・リスボアがその威容を誇る。

 良平が初めてマカオに来たのは、行政権がポルトガル政府によって、北京政府に返還された1999年末である。

 その頃、オールド・リスボア(澳門葡京酒店)の南側は、すべて海だった。

 タイパ島側の北端にあった入江には、水が見えないほど無数の白鷺が住んでいたのだが、リスボア手前の海が埋め立てで消えた頃、白鷺も消えてしまった。

 時代が変わったと言われれば、まったくそのとおりなのだろう、と良平は思う。

 2000年のマカオの一人当たりのGDPは、1万5000USDにも満たなかった。当時、日本のそれは3万8500USDである。つまりマカオの2倍以上あった。しかしわずかその10年後の2010年に、日本は一人当たりのGDPでマカオに追い抜かれた。

 それから更に8年後の現在(2018年)、日本のそれは4万0800USD、一方マカオのそれは8万3800USD、つまり一人当たりのGDPでは、日本はマカオの二分の一以下になってしまった。

 なんでそんな魔法みたいなことが起こったのか。

 理由は、ただひとつ。

 ポルトガル政府から行政権を返還された北京政府は、「一国二制度」として、マカオにあるカジノ事業の存続を認めた(大陸での『賭博禁止法』は存続された)。

 それだけではなく、マカオにおけるカジノ事業の権利を、それまでのSTDM社(澳門旅遊娛樂股份有限公司)の独占制から、競争入札制に改めた。

 たったそれだけで、この奇蹟が起こったのである。

「社長、宮前さんをお迎えに行ってきます」

 優子が言った。

「社長、と呼ぶのはやめてくれ」

 良平は振り向いた。

「失礼しました。でも、『都関さん』と呼ぶのは、なんだか馴れ馴れしくて」

「それじゃわたしもあんたのことを『山縣優子取締役』と呼ぶぞ。『良平さん』でいいよ」

 優子は六週間ほど前にマカオに来たばかりだ。

 東京にある外語大の中国語学科を卒業し、ホテル業界に勤めていたのだが、その勤務内容のつまらなさにあきれて、2年間で退職した。

 職探しの間、西麻布にあるクラブでアルバイトをやっていて、良平に拾われたのだった。

 エキサイティングでスリリングな仕事がしたい、と言っていた。

 エキサイティングでスリリングなだけじゃなくて、すこしデンジャラスだぞ、と良平は釘を刺しておいたのだが、それでもいい、ということで即決した。

 優子が大学で専攻したのは北京語だそうだが、それでも広東語圏なら、まあまあ読み書きくらいはできるだろう。北京語とバイリンガルなマカオの住人も多い。

 それにしても日本には、男などとは比較にならないぐらい決断力をもつ若い女たちが増えた、と良平は思う。

 あの外語大を卒業しているくらいだから、それなりに頭の働きもいいのだろう。

 鼻すじのとおったちょっとした美人である。その腰のくびれなどみていると、そそられてしまう。しかし、良平とは男と女の関係ではなかった。

 法人登記上の問題で、まだ25歳だが、最初から役員として入社させている。

 代表取締役社長が良平で、執行役員が優子。

 社員は居ない。それだけの会社だった。

⇒続きはこちら 第6章:振り向けば、ジャンケット(5)

第6章:振り向けば、ジャンケット(3)

 1999年11月、尹国駒はコロアン地区の路環監獄に収監された。同年12月20日、マカオの行政権は北京政府に返還される。

 北京政府によって「行政特別区」に指定され「一国二制度」の行政システムとなったといえども、北京政府による強権的警察権行使を恐れた地下社会は、ここで当局相手に布告した戦争から撤退した。

 その手打ちにおいて主導的役割を果たしたのが、北京政府公安部と深い関係があり、大陸でも手広く活動していた『新義安』という『香港三合会』の有力組織だった、と言われている。最盛期の『新義安』には、20万人の会員がいたというのだから、その組織の巨大さもわかろうというものだ。

 しかし、当局と和解が成立しても、そして「歯なしのコイ」が「社会不在」になろうとも、地下社会の「仁義なき戦い」は血に塗られながら継続した。それはそうであろう。この戦争における基礎的要因は、各地下組織間の「利権の奪い合い」という経済問題にあったのだから。

 カジノ事業者本体は別格だが、マカオでカジノ利権の最大のものは、「ジャンケットの権利」と「カネ貸しの権利」の部分にある。

 ここでの「カネ貸し」とは、世界中のカジノならどこにでも居る「ローン・シャーク(カネ貸し鮫)」を意味した。

 博奕で負け込み「眼に血が入って」しまった連中に、高利のカネを貸し付けるのが、カジノにたむろす「ローン・シャーク」たちのビジネスだ。

「トイチ(10日で一割の金利)」なんてのは可愛い方で、「トーサン(10日で三割)」「トーゴ(10日で五割)」とか、ひどいのになると「アケイチ」まであった。

「アケイチ」というのは、日本の非合法賭場では通称「カラスガネ」と呼ばれるものである。烏がカーッと鳴けば(つまり、夜が明けたら)一割の利息が複利でついている。

 そんなものに手を出したら、身の破滅。

 それは重々承知の上なのだが、負け込み脳みそが煮崩れた賭博亡者たちには、もうどうにも止まらない。頭を下げてでも手を出してしまうのである。

「ジャンケット」と「ローン・シャーク」という、カジノ利権における主要部分が未調整のまま、マカオの行政権は北京政府に返還された。それゆえ、北京政府による強権行使の恐れがあるにもかかわらず、死体がごろごろと転がる「仁義なき戦い」は継続されたのだった。

 ちょうどこの時期に、30歳になったばかりの都関良平(とぜきりょうへい)は、日本のジャンケットとしてマカオに送り込まれている。

 ジャンケットの経験などまったくなかったのに、なんでそんなことになってしまったのか?

 あとになって振り返れば、しごく当然な理由によっていた。

 地下組織間の「仁義なき戦い」とは、そもそも「ジャンケットの権利」と「ローン・シャークの権利」というカジノ利権に端を発していた。

 ところが「マカオ戦争」における突出した前線となったジャンケット・ルームから、日本の広域指定暴力団につながったジャンケット業者が、なりふり構わず逃げ出した。

 その過程で日本関係者が三人ほど海に浮いた、という噂もあったが、真偽のほどは定かでない。

 当時(あくまで「当時」である)、東アジアでの「マネー・ロンダリング」におけるひとつの有効な機能を担ってきたジャンケットのシステムに、こと日本関係に関する限り、ぽかりと大きな穴が空いてしまったのである。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章:振り向けば、ジャンケット(3)

第6章:振り向けば、ジャンケット(2)

 日本での山口組=本田会の代理戦争の様相を呈した「仁義なき戦い」広島戦争は、死者17名・負傷者26名を数えた大抗争だった。  しかし、『マカオ戦争』における死者・負傷者の数はそんなものでは済まなかった。この抗争での死者数 […]

第6章:振り向けば、ジャンケット(1)

 20世紀末から21世紀初頭にかけて、地下社会で『マカオ戦争』と呼ばれるものがあった。  それが始まったのは、香港の行政権がイギリス政府によって北京政府に返還された1997年のころであり、マカオの行政権がポルトガル政府に […]

番外編その5:知られざるジャンケット(9)

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番外編その5:知られざるジャンケット(8)

 バカを言ってはいけない。  だいたいこの短い文章の中に、いったいいくつの「明らかな間違い」が含まれているのか(笑)。 「自前のカジノルーム」とはなにを指すのか、教えていただきたい。いや、そもそも「カジノルーム」とはなん […]

番外編その5:知られざるジャンケット(7)

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番外編その5:知られざるジャンケット(6)

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番外編その5:知られざるジャンケット(5)

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