“モントリオール事件”へのプロローグ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第262回(1997年編)
ブレット派閥対“WWEベスト5”の10人タッグマッチは、35分6秒の持久戦の末、オーエンがストーンコールドを一瞬のスクールボーイ(エビ固め)でフォール。完全にヒール・モードのストーンコールドは試合中、リングサイド最前列に座っていた“カルガリーの父”スチュー・ハート(当時82歳)にも襲いかかった。
10人タッグマッチはいわゆる軍団総力戦的なマッチメークであったと同時に、ビンス・マクマホンとブレットがそのプロレス観をぶつけ合った一種の“実験の場”だった。WWEの製作総指揮・監督であるビンスは「“ロウ”におけるドラマの完全性」をあくまでも主張し、ライブの観客がブレット派閥にブーイングを浴びせる展開に自信を持っていたとされるが、ビンスの予想に反し、カルガリーのプロレスファンはハート・ファミリーを絶対的なベビーフェースととらえた。
ブレットは、かねてから公言していた「アメリカではヒール、カナダではベビーフェース」というありそうでなかったユニークなポジショニング(キャスティング)がプロデュース可能であることを――ビンスに対して――この試合で証明した。
ハート・ファウンデーションの勝利が決まった瞬間、長老スチューをはじめとするハート一家の兄弟、親せき、その後、WWEで活躍することになるDH・スミス(デイビーボーイ・スミス・ジュニア)、ナタリアらプロレスラーをめざすティーンエイジの甥、姪らがリング上を占拠。
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