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“誤算”ストーンコールドが首を負傷!――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第264回(1997年編)

 オーエンはツームストーン・パイルドライバーの体勢でストーンコールドのヘビー級の体を抱え上げると、アンダーテイカーのようにみずからの両ヒザを前方からキャンバスに落とすスタイルではなく、ドリル・ア・ホール・パイルドライバーのような形でお尻からバンプを取った。ストーンコールドの首がグニャッと曲がったままマットに突き刺さった。  不測の事態が起きたことはだれの目にも明らかだったが、それから10数秒後、半失神状態のストーンコールドが意識もうろうのままオーエンをスクールボーイにまるめ込んでカウント3をゲット。16分16秒、ピンフォール勝ちでインターコンチネンタル王座奪取に成功した。  ストーンコールドは5カ月まえの“レッスルマニア13”(1997年3月23日=イリノイ州シカゴ、ローズモント・ホライズン)ではオーエンの兄ブレットと対戦。ブレットにシャープシューターをかけられた状態のまま“失神”し、レフェリー・ストップという裁定で完敗を喫した。試合が終了した瞬間、それまでベビーフェースだったはずのブレットがヒールに、ヒールだったストーンコールドがベビーフェースに変身していた。  ポスト“レッスルマニア”路線からスタートしたインターコンチネンタル王座をめぐるオーエンとストーンコールドの連戦シリーズは、ブレットとストーンコールドの因縁ドラマの続編のようなレイアウトになっていた。  ヒールになったブレットは弟オーエン、義弟デイビーボーイ・スミス、義兄ジム・ナイドハートらと“伝説のユニット”ハート・ファウンデーションを再結成。毎週月曜の連続ドラマ“ロウ・イズ・ウォー”の新しいキーパーソンとなった。  ブレットとその仲間たちがヒール・ユニットを演じるということは、ストーンコールドとショーン・マイケルズはその反対側のコーナーで“選択ベビーフェース”のポジションに立つことを意味していた。  ポスト“サマースラム”から翌年3月の“レッスルマニア14”までの約7カ月間の連続ドラマについては、ビンス・マクマホンの頭のなかではストーンコールドとショーンのふたりを主役としたストーリーラインがすでにできあがりつつあったのだろう。
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合計5回の“極秘会談”
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