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亡命中国人漫画家からみた「アパホテル抗議デモ」が失敗だった理由

アパホテル抗議デモ観察記

 さて2017年2月初め、日本の中国人がデモの申請をしたと聞いた。南京大虐殺を否定した内容の書籍を客室においたアパホテルに対する抗議デモだ。日本の保守団体もカウンターデモを計画しているという。私は街頭運動に参加するチャンスだと、再び自作の漫画を手に現地に向かった。
亡命中国人漫画家・辣椒(ラージャオ)「私はなぜ祖国に捨てられたのか」VOL.1

四コマ

 デモ当日の2月5日午後2時、数人の友人とともにデモ隊の集合地点である新宿中央公園に到着した。デモは3時開始の予定だったが、早くも参加者が集まっていた。また講演前の交差点には警察車両がずらりと並んでいる。抗議デモを守るために数百人もの警察官が動員されたようだ。私たちはデモ参加者に向けて漫画やスローガンをアピールした。  だがデモ参加者たちからは一向に反応がない。デモ参加者たちは中国のSNS「微信」(Wechat)で事前連絡を取り合っていたのだが、私はある筋からその会話内容を入手していた。デモ実施にあたって強調されていたのは冷静に行動し、何を言われても言い返さず沈黙を守ることだった。その決まりを守っていたということだろう。  しばらくすると、メディアの記者が私たちに気がついた。あっという間に取り囲まれて撮影会となったが、すぐに警察がやってきて私たちに公園から出て、交差点の向かいに行くようにと命じた。ちょっと笑えたのは建築現場で使う三角コーンを使って私たち専用の抗議スポットを作ってくれたことだ。デモ隊との衝突を恐れたのだろうが、違う場所で騒ぎは始まっていた。保守団体の関係者が広場に突入を試み、阻止しようとする警官隊と揉み合いになっていったのだ。まもなく広場は完全に封鎖され、人の出入りは禁止された。せっかくの特設抗議スポットだが、ここからでは何もできない。そこでマンガをしまい、抗議者ではなくたんなる観察者として広場に近づこうと思ったが、警察は完全にガードしていて近づくことはできなかった。見たのは大声で主張を叫びながら突撃を続ける保守系団体関係者とそれを押し止める警察の姿だけだった。  午後3時前、警察の厳重な警備の下、抗議のデモ隊は行進を始めた。私も一緒に移動しようとしたが、警察は完璧な警備体制をしいていて彼らに近づくことはできない。結局、デモ隊の後ろにくっついて歩道を歩いていくだけとなった。前方では保守系団体関係者が叫び声を上げながらデモ隊に突撃し警官に止められるという光景が繰り返されている。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1310508 亡命中国人漫画家・辣椒(ラージャオ)「私はなぜ祖国に捨てられたのか」VOL.1

デモと祭り

 この移動中に私は友人の古川郁絵さんと出会った。彼女もアパホテル抗議デモを批判するカウンターの立場だ。中国語で書かれたプラカードをいくつか用意していたが、デモ側の痛いところを突く内容だった。 「おめでとう。あなたがたも日本では自由にデモができます。中国で非官制デモをやってください」 「日本でデモに参加しても天安門、ウイグル、チベットのようには鎮圧されません」 「日本は言論の自由がある国です。中国も言論の自由がある国に変えてください」  古川さんと一緒にプラカードを掲げたり、おしゃべりしたりしたが、「デモって面白いものだね」という感想が誰からともなく出てきた。ちょうどその時、私の友人がある2人組の中国人留学生を見つけた。どうやら遅刻してデモ隊に加われなかったらしい。片方は「私たちもデモに参加したと言えるよね。そうでしょ」などと話していたらしい。どうやら人生初のデモに参加したことで、私たちと同様「祭り」の興奮に包まれていたようだ。前面では保守系団体が絶叫し、後方では私たちのように和気あいあいと「祭り」を楽しんでいる。その中でデモ隊の愛国中国人だけが奇妙な沈黙を守り、警官に包囲されたまま歩き続けていた。これではデモは失敗と言わざるを得ない。気合いの面で負けているではないか。  デモ隊は最終目的地であるアパホテル新宿御苑前店に到着した。そこには「日本第一党」の投手である桜井誠氏など多くの保守派関係者が無数のラッパや旗とともに待ち構えていた。デモの経験が豊富とあって、意気高揚と大変な盛り上がりだ。デモ隊はまもなくその場を立ち去ったが、保守系団体の関係者たちはその後も演説を繰り広げ、盛り上がっていた。群衆からはたびたび拍手がわき上がる。友人である日本ウイグル連盟のトゥール・ムハメット氏も演説していた。
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