「昔の読者モデルはプロより稼いでいた」元“メンエグ”モデルが語る夢の原点
現在、ファッションデザイナーとして『GQ JAPAN』や『VOGUE JAPAN』などのハイファッション誌に登場、あるときはテレビやラジオといったメディアに出演する渋谷ザニー氏(32歳)。
だが、かつてはギャル男雑誌『men’s egg』などのモデルであったことはあまり知られていない。また、軍事政権下にあった祖国ミャンマー連邦から民族紛争や政治的な理由で8歳の時に家族とともに日本に亡命した経緯がある。
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難民という複雑な背景、“ギャル男”雑誌のモデル、ハイファッションのデザイナー、コメンテーターという希有な人生を歩む渋谷ザニー氏。いま大きな飛躍を遂げつつあるが、彼は今後どこへ向かうのか。その原点ともいえるモデル時代から紐解いていこう。
「あの時代は、肩書きは“読者”モデルだけど実際には“プロ”のモデルより稼いでいる人が多かった。『読者モデルになれたら成功が約束される』、そんなジャパニーズ・ドリームが、あの頃の渋谷にはあったんです」
開口一番そう語った渋谷ザニー氏。ビルマ(現ミャンマー)の首都であったヤンゴンに生まれ、8歳の時(1993年)すでに日本に亡命していた民主化運動家の父を追い、母と共に日本に亡命。父方の祖父は旧ビルマ貴族階級出身の大学教授、画家であり、母方の祖父は王朝時代から続く軍人の名家出身で、旧ビルマ独立義勇軍陸軍総長を務めたほどの人物。そんな“華麗なる一族”に生を受けながら、気さくな口調と人懐っこい笑顔が彼のキャラクターだ。
そんな彼が、いかにして読者モデルという当時のジャパニーズ・ドリームを掴んだのか。
「六本木にあったCLUBのヴェルファーレで、当時人気だった雑誌『men’s egg(メンズエッグ)』の兄弟誌で編集部員をしていた佐伯さんという方にスカウトされました。それも単なるスナップではなく、いきなり巻頭ファッション企画へのオファーだったのでビックリしましたね。当時の読者モデルって、華やかなファッションページだけでなくバラエティ系の体当たり企画にも出たりするなど、なんでもこなさなきゃならない存在。まして、雑誌に出たての新人じゃ、巻頭企画なんかにはまず呼ばれません。にも関わらず、最初からそういう扱いをしてくれた佐伯さん、そして編集部には感謝してもしきれません。ファッションだけやれる、というのは読モとしてのステータスだったんです」
こうして鳴り物入りのルーキーとして読モデビューを果たしたザニー氏。しかし、その読モとしての活動期間は意外なほど短い。
「だいたい1年半くらいですか。一般読者からの人気より、アパレルメーカーとか玄人受けする読モでした。僕本来のキャラ的にも雑誌のカラーとズレもあっただろうし。でも、短い期間だったけどモデルとして活動できて、僕自身うれしかった。アメリカに留学していた頃、ニューヨークの紀伊国屋に日本を紹介するコーナーがあって、そこに歌舞伎やアニメ情報誌と一緒に並んでいたのが、メンズエッグとエッグ。いわば日本のカルチャーを代表した雑誌ってことですよね。それで、モデルをやってみたいと考えていたのですが、その中で僕が出られそうなのはメンエグかエッグしかないだろ、と(笑)」
今のルックスからは想像もできないが、かつてザニー氏はギャル男だったのだ。ただ、本人は“ギャル男”という字面が嫌いだったそう。
「ギャル男って普通、ギャルに男って書くじゃないですか。その名の通り、元の語源はギャルの男版ってところから来ているんだろうけど、僕的にはあえて『ギャルオ』とオールカタカナ表記を提案したいんですよ。ギャルみたいな男ってことじゃなく『ギャルオ』という1つの名称、たとえば食肉目ネコ科ヒョウ属のライオンみたく、1つの固有種にしたい」
メンエグモデルとして、まずファッション業界の入り口に立ったザニー氏。だが、あの時代が最後の渋谷系ブームだったと振り返る。
「僕が読モをやっていた時代以降の渋谷シーン、カルチャーって、かつての大ブームを引きずっている状態。悪く言えば、亡霊を追いかけている。そう考えると、僕はブーム最盛期にその場所にいることが出来たんだなぁ、と。ある意味で、僕はとてもしたたかだったし、読モの間にある先輩後輩って枠を意図的に排除して平等な関係を意識してました。自分がやりたくないことはやらない、僕の求めているコンセプトに合わないものはやらない……って、いま思うと相当調子乗ってましたね(笑)」
夢の原点はmen’s eggモデル時代にあった

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渋谷系ファッションをはじめ、若者カルチャーからアウトロー、任侠系にキャバクラ、風俗ネタまで、節操なく取材&執筆をこなす、貧乏暇ナシなライター・コラムニスト。酒とタバコとクラブとギャルが大好きな“ギャルおっさん”。
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