クルアーン(コーラン)とは“人間が理想とする生き方”
イスラーム教の聖典・クルアーン。アッラーから最後の預言者ムハンマドに対して下された啓示は、全114の章(スーラ)からなる。
聖典であるクルアーン(コーラン)は、美しい造形で美術的価値も高い
「1400年前に啓示された言葉ですが、21世紀を生きる今の日本人にとっても理想とされる、求められている人間像が書かれています。そんな普遍的な言葉に、今まで多くの人が感銘を受けたのではないか。預言者ムハンマドはムスリム共同体のリーダーですが、家庭では良き夫であり、やさしい父親だった。誰かから何かを求められたらそれを拒むことがなかった。クルアーンやハディースには、私たちの模範となるべき振る舞いが数多く書かれているのです。今の時代の為政者・指導者の姿と照らし合わせて見ると、全く逆だなと思うこともありますね……」(樋口氏)
クルアーンやハディースには、五行と呼ばれるムスリムの義務として、1日に5度の礼拝、信仰告白、喜捨、断食、巡礼、これら5つの行為が定められている。カアバ神殿の方角に向けて一斉に拝跪する礼拝や、1か月間日中の飲食を慎む断食など、過酷なイメージのみが先行しているので、それがイスラームへの理解を妨げている一因だろう。
「たとえば礼拝といっても、夜明け前の礼拝から夜の礼拝まで時間が決まっているが、時間帯でいえば幅があるんですよ。何時何分ジャストに一斉に、というわけではない。同時刻にムスリムが一斉に礼拝を始めたら、社会活動が止まってしまう。
イスラームは出来ないことを押し付けているのではないんです」(同上)
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3階にある礼拝室。壁や天井の装飾から絨毯まで、全てトルコからの輸入品
額を床につけておじぎをする礼拝動作はサジダと呼ばれている
サラート(礼拝)前には、ウドゥー(小浄)を行い身心を浄める
「クルアーンに書かれていることを知れば、イスラームの思想がどれだけ優しいかわかるはずです。
人にはその能力以上のことは課せられない。1日5回の礼拝でも、たとえば、どこか旅行に行っている場合、日中と午後の礼拝や、日没と夜の礼拝をまとめて行うことも許されています。また、立って礼拝が出来ない時は座った状態で、病人などで座ることも出来ない人は横になったままでも、礼拝を行えば大丈夫です」(金子氏)
私たちにとって、非常に厳しいイメージのあるイスラーム。しかし、じつは
柔軟な教えであり、だからこそ世界中にこれほどまでに広がったのだという。
「アッラーはそれぞれの人の能力を知っています。
その人がその時に出来る能力で最善を尽くすことを求めているので、不可避な能力以上のことについては罪に問われません」(同上)
ムスリム協会では、アラビア語の書道教室も行っている
では、よく知られているラマダーン月の断食はどうだろう。樋口氏はこう言う。
「ラマダーン月の断食は、日の出ちょっと前から日没までの間は一切の飲食をしないのが決まりです。しかし、サラリーマンの場合、お昼を食べながらの商談もあるわけですよね。まさかラマダーン月の間、そういった商談を全てキャンセルするわけにもいかない。そんな時は前もって宣言するんです。『今日はやりません。その代わり後日、補いの断食を行います』とね」(樋口氏)
じつは、意外にも断食を中断することが許されているのだという。
「あと、日本は夏季と冬季では日中の長さが全然違いますよね。冬は10時間くらいだけど、夏は15時間ほど。夏の断食は体力的にも厳しい。そういう時、体調によっては一時中断し、補う日数を改めて冬にやる。またムスリムは他人に対して『お前、礼拝してないじゃないか』『なんで断食しないんだ』などと言いません。信者同士で相手を傷つけることを言ってはいけないんですね。そういう相互理解、自己管理が大事なんです」(同上)
イスラームの先入観として、凶悪なテロリスト、または狂信的な求道者といった印象がひとり歩きしていたが、実際には非常に柔軟な教義であり、同胞意識で繋がれた相互扶助など、それを払拭する話が伺えた。
現代の日本は、漠然とした不安ばかりで先行き不透明。しかしながら、イスラームが掲げる人生の教訓は、驚くほど
日本古来の美徳や価値観と相通ずる点が多かった。
いまの格差社会の悩める日本にとって、参考にすべきこともあるのではないだろうか。
<取材・文/菊橋みかん、撮影/藤井敦年>
渋谷系ファッションをはじめ、若者カルチャーからアウトロー、任侠系にキャバクラ、風俗ネタまで、節操なく取材&執筆をこなす、貧乏暇ナシなライター・コラムニスト。酒とタバコとクラブとギャルが大好きな“ギャルおっさん”。