武藤敬司の“自分をつくっていく”という発想――フミ斎藤のプロレス読本#003【プロローグ編3】
やがてムタは本名の武藤敬司として活躍の場を新日本プロレスのリングに戻し、スティングはTV王座、USヘビー級王座をへてNWA/WCW世界ヘビー級王座を獲得。メジャー団体WCWの頂点を極めた。
まったく異なる環境でプロレス生活を送るようになってからも、武藤とスティングはほとんど同時進行でスーパースターとしての地位を築いていった。
「スティングとオレは、おたがいに尊敬し合っているようなところがあるんですよね」
わりとシャイなところもある武藤は、あえて“ライバル”という単語は使わなかったが、スティングの持つ天性のスターっぽさには畏敬の念を抱いていた。
ムタとスティングが日本のリングでシングルマッチで対戦した『スターケード IN 闘強導夢』(1991年3月21日、東京ドーム)の映像はWCWのPPV放映のワク内で全米中継され、ふたりがタッグを組んでリック&スコットのスタイナー兄弟と対戦した『超戦士 IN 闘強導夢』(1992年1月4日、東京ドーム)の一戦もその一部がWCWのTVショーでオンエアされた。
日本のプロレスファン、関係者、プロレス・マスコミがなんとなく認識しているレベルよりもはるかに“The Great Muta”のアメリカにおけるスタータスは高い。
“自分を創る”というフレーズをごくふつうに使っていたレスラーは武藤だけではなかった。あるとき、船木誠勝からも同じような自分づくりのはなしを聞いたことがあった。
プロフェッショナル・レスリング藤原組の道場でケイコをしていた――パンクラスを設立する1年まえの――船木を訪ねたときのことだ。そのころの船木は取材しづらい選手、波長が合わない相手とはまったく会話が成立しない選手といわれていた。
船木は、これからの自分にとって大切なのは「フナキマサカツをつくっていくこと」で、志しているのは「芸術みたいなものです」と話してくれた。船木はそれまでの自分をいっぺん壊してから、まったく新しいなにかをクリエイトしようとしていた。
パワー・ウォリアーという架空の人物に変身したときの佐々木健介も「これからつくっていかなくちゃいけないですから。レスラーはひとりぼっちですから」と語っていたことがあった。
プロレスラーは体bodyと精神soulの境界線がはっきりしない、あるいは境界線が存在しない人たちなのかもしれない。
ひとりひとりがそれぞれに思い描く自己があって、それを実現させるにはどうしたらいいかを考えながらプロレスをつづけ、やがて、そういう自分になれる日がやって来ることをちゃんと信じている。
自分で自分をつくっていく、ってなんてすばらしい発想なんだろう。生きていくこと、とはまさにこれじゃないだろうか。ぼくたちは、プロレスとプロレスラーからそういうことを学んでいるのである。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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