エンタメ

伝説的フュージョンバンド・元カシオペアの向谷実が80年代を振り返る「浮かれた状態は長く続かないと確信していた」

「浮かれた状態は長く続かない」と確信していた

向谷 実

YMOやNYの超一流スタジオミュージシャンを揃えたフュージョンバンド・Stuffなどの活躍によって、80年代以前から「ソロプレイよりアンサンブルを主体とするインストゥルメンタル音楽」が世で受け入れられる土壌は開拓されつつあった。カシオペアがブレイクしたころはザ・スクェア(現・TSQUARE)、シャカタクなどのインストバンドが人気を博していた

――人気バンドの一員として過ごした80年代を、向谷さんご自身はどのように見つめていたのでしょう? 向谷:人からいわれて「コレがバブルなんだ」とようやく気づいた程度で、浮かれた気分もなかったですし、特別な意識はなかったですね。むしろ「ココに絡んだら絶対に共倒れ、沈没する」くらいに冷めた目で眺めていました。本格的なバブル景気に突入する前の1985年には、すでに今の自分の会社を設立していたんですよ。カシオペアのバブルは世間と少々ズレていて、すでにもうそこそこ稼がせてもらったので、だから「個人のマネージメントは自分でしよう」と自己投資に踏み切ったわけです。「こんな状況は長く続かないだろう」って確信もありましたし、バブルで浮かれていたほかのバンドに対する、レコード会社側の客観的な評価もよく耳に入ってきましたから。 ――やはり、周囲は結構浮かれていたわけですね? 向谷:80年初頭、いわゆる「バブル前夜」のころって、見方を変えれば「高度成長期のクライマックス」じゃないですか? 為替が変動し、円がすごい力を持ちはじめ、「俺たちなかなかやるじゃん」みたいな空気がだんだん蔓延し出してきて。戦後、日本人の心の奥底にずっとあった劣等感が、妙な優越感に変わってしまった時代でした。でも、お金に踊らされて、誰もが「右にならえ」と馬鹿騒ぎに興じているさまは、はっきりいってかっこ悪かったし、好きじゃなかった。そりゃあ、楽しいこともいくつかはあったけど、あのころに戻りたいとは決して思わないですね。 向谷 実<カシオペアの主なアルバム> ●『THUNDER LIVE』(1980年) 3rdアルバム。各メンバーが、まだ全面に押し出していた難易度の高い演奏テクをLIVE収録したマニアックな一枚。どれだけ手や指を速く動かせるかを競い合う軽音楽部のセミプロプレーヤーらが演奏を解説しあいながら、こぞってコピーしていた
THUNDER LIVE

THUNDER LIVE

●『EYES OF THE MIND』(1981年) 5thアルバム。アドリブパートと音数を減らすことによって空間性を重視。西海岸風なポップス色とBGM感が強まり、おそらくこのころから女性ファンも急増しはじめた。カシオペアがメジャーバンドとなるターニングポイントに
EYES OF THE MIND

EYES OF THE MIND

●『SIGNAL』(2005年) 40thアルバム。このリリースを最後にカシオペアは活動を休止し(2012年から活動再開)、向谷は脱退を表明。Sync DNAとのコラボ、ツインドラムなど、実験的試みも多い一枚で、その後ソロとなった向谷は、より精力的に音楽活動を行っていく
SIGNAL

SIGNAL

取材・文/山田ゴメス
大阪府生まれ。年齢非公開。関西大学経済学部卒業後、大手画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッション・学年誌・音楽&美術評論・人工衛星・AI、さらには漫画原作…まで、記名・無記名、紙・ネットを問わず、偏った幅広さを持ち味としながら、草野球をこよなく愛し、年間80試合以上に出場するライター兼コラムニスト&イラストレーターであり、「ネットニュースパトローラー(NNP)」の肩書きも併せ持つ。『「モテ」と「非モテ」の脳科学~おじさんの恋はなぜ報われないのか~』(ワニブックスPLUS新書)ほか、著書は覆面のものを含めると50冊を超える。保有資格は「HSP(ハイリー・センシテブ・パーソンズ)カウンセラー」「温泉マイスター」「合コンマスター」など
1
2
80's青春男大百科

マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る!

おすすめ記事