リゾートバイトの最貧困、沖縄“ちょんの間”のリアルをバイト嬢が告白「SEXの対価は1回3000円」
8月12日の『マツコ会議』(日テレ系)で、沖縄・宮古島のリゾートキャバクラバイトが取り上げられた。近頃、テレビでも多く取り上げられる「リゾキャババイト」だが、かつて沖縄に「リゾートちょんの間バイト」というものがあったことをご存知だろうか。10年前、沖縄最大のちょんの間街でリゾートバイトをしていた美奈さん(仮名・30歳)に話を聞いた。
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano
「当時、大学の夏休みを使って沖縄に長期滞在していました。那覇で1泊1500円のドミトリーに泊まり、時々キャバクラのアルバイトをしていました。キャバクラは時給が安く『もっと稼げる仕事ない?』と、スカウトマンに紹介してもらったのが『ちょんの間バイト』です」
美奈さんが紹介されたのは、宜野湾市のちょんの間街「真栄原社交街」(通称・新町)だった。ちょんの間とはご存知の通り、長屋の店前に座っている女の子を直接指名し、本番行為ができる風俗だ。
「その頃、新町には100軒以上のちょんの間がありました。料金は15分5000円、30分1万円。SEXの対価として、女の子の手取りは15分3000円、30分5000円です。本島に比べると少しリーズナブルですね。ヘルスの経験はあったのですが、ヘルスのようにキスとかフェラとかしなくていいので楽そうだなと思いました」
ちょんの間で働き始めた美奈さんは、ドミトリーからちょんの間の寮へと移る。
「当時の新町は内地(本島)から来ている子が大半でしたので、寮が完備されていました。私のようにリゾートバイト感覚で来ている子が多かったです。寮は無料で完全個室だったので、ドミトリーの相部屋よりも住み心地は良かったです」
新町の客層や、稼ぎはどのようなものだったのだろうか。
「夏だったので、客層は観光客が多かったです。稼ぎは1日3万円ほどで、週3、4日出勤で月50万円は稼ぎました。お金はダイビングや離島巡りに使いましたが、貯金もかなり貯まりました。松山のホストクラブとかも行きましたよ。沖縄のホストはほとんど内地から来ている子ばかりなので、同じ地元のホストがいると少し気まずかったです(笑)」
思う存分遊び稼いで帰った美奈さんは、翌年の夏休みも「ちょんの間リゾートバイト」へ行った。しかし、美奈さんが真栄原社交街を訪れるのはそれが最後となった。
「その翌年から市や警察の浄化活動による摘発が行われ、新町のちょんの間は次々と潰されていきました。当時、働いていた子達からも『プレイ中に警察が入ってきた』という話も聞きましたね」
そして2010年、真栄原社交街は半世紀以上の歴史に幕を閉じた。あれから7年、かつてのちょんの間街はどうなっているのだろうか。
「浄化活動による閉鎖後は、ゴーストタウンのようでした。その後、少しでも再築しようとメンズエステ風俗が何件かオープンしたのですが、それも摘発されなくなりました。現在は、普通の店が少し入居していますが、店の作りが特殊(ちょんの間は2階建ての平屋となっており、店の中に階段と、カウンターの流し台がある)なのでなかなか借り手が付かず、今もほとんどが空き家となっています。観光客もなかなか来づらい場所なので、再開発は難しそうです」(現地に詳しい地元民)
新宿ゴールデン街のように、かつての遊郭が飲み屋街として生まれ変わったケースもある。10年前のように、真栄原社校街がふたたび賑わう日は来るのだろうか。
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