アジアの片隅で少女たちの古着を拾い集める男の人生~日本を棄てた日本人~
カンボジア・プノンペン郊外の場末を流れる一本の淀んだドブ川。異臭を放つこの川の両側にも、所狭しと労働者向けの高層アパートが林立する時代になった。
広さ8畳。トイレと簡単な流しのついたタイル張りの小ざっぱりしたワンルームが、家賃100ドル。日本円にして約1万1千円。カンボジア人労働者の月収は200ドルといったところなので、彼らはこうした部屋に4人とか5人で暮らしている。
そんなドブ臭い「どローカル・アパート」には、洗練された市内中心部で見ないタイプの外国人も大勢棲みついている。
オレオレ詐欺団の中国人。韓国カルトの宣教師。タトゥーだらけの貧乏白人。朝から晩まで仲間とつるみ、ひそひそ密談に余念がないアフリカ系黒人の群れ。さらに、周りの低層アパートよりほんの少し家賃の高いこちらの物件には、我々の同胞である「M浦」という日本人も暮らしている。
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今年40歳になる元バックパッカーのM浦とは、市内の1ドル食堂でなんとなく知り合った。カンボジアのゆるさにハマり、旅すらもやめてこの国に住み出してから、早10年あまり。
カタギだった頃の貯金を食い潰しながら、何をするでもなく、本を読んだり空を見たりするうち、気がつけばアラフォー。
大慌てでプノンペンの日系企業に就職するも、社会人経験が皆無のM浦は結局、サラリーマン生活に適応できず、1年経たず退職。安食堂でぼんやりしながら、新しい生き方を模索するさなかの出逢いだった。
静かに、にこやかに、ゆっくりと喋る落ち着いた男。例えて言うなら市役所の戸籍課なんかで見かける無害なタイプ。生涯、面倒とは縁がなさそうなM浦。
しかし、どれだけ顔が公務員だろうと、脳みその中味は血統書付きのフーテン野郎。そんなM浦の意外な一面を目撃したのは、彼の住み家である貧乏現地人・貧乏外人の巣窟。S地区の某プロレタリア・アパートメントを訪ねたときのことだ。
M浦の暮らす6階は見晴らし最高ながら、昼間は天井を殺人的な直射日光にジリジリ焼かれ、エアコンのない室内は体感40度オーバー。夜は夜で、窓から侵入した数百匹の羽虫が部屋中をブンブン飛び回り、奴らが自然死する明け方まで一睡もできない……。そんな環境のなか、M浦は逞しく生きていた。
お昼前、汗みどろで寝床を這い出したM浦は、“食い詰めフランス人”が路上で売る1ドルちょいのサンドイッチを買い、ひしゃげたマグカップにインスタントコーヒーを淹れる。
のんびりと朝食を済ませたM浦が向かった先は、市内に散らばる古着屋。M浦の唯一の趣味は「古着集め」だった。
「貧民援助」の名のもと、世界中からカンボジアに送られる膨大な古着。あまりの量に国内の貧乏人ではとても消化しきれず、無数の古着屋に流れ、さらには周辺国にまで密輸されている。
金をかけずともそこそこ楽しめるせいか、プノンペンに暮らす“食い詰め日本人”の間で「古着集め」を趣味とする者は実に多く、馴染みの古着屋で知った顔と鉢合わすことも珍しくない。
「Tシャツの相場は50円。卸売市場だとさらに安いけど、直射日光ガンガンの地面にぶちまけてハイどうぞって感じで、汗だくでチェックしてると倒れそうになるよ。そういう激安品は大抵、中国の聞いたこともないブランドで面白くないし」
シャツならここ、偽ブランドはここ、ジャージはここ、という感じで市場ごとに集まる古着の傾向がある。国内の縫製工場から流出した有名ブランドのタグだけ扱う市場もあるそうな。
アジアの片隅で少女たちの思い出を拾い集めるファッション考古学者〜日本を棄てた日本人〜
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