更新日:2022年10月29日 00:52
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門田博光はなぜ“一本足打法”にこだわったのか? ドラフト直前に歴代名打者を辿る

門田博光 そんな“一本足の弱点”にぶつかった門田が取った対策は極めてシンプルなものだった。 「変化球は完全に捨てて打席に入ろうと。それこそ3球ともカーブがきたら『ハイ、サヨウナラ』と三振してベンチに帰るだけ。でも、4打席あれば失投で真ん中付近にスーッと入ってくる直球が必ずあるんです。それを絶対に逃さずホームランにすることだけを考えて打席に立ってました。逆に、変化球のタイミングのみに絞り、ストレートを捨てて打席に入ることも晩年はありましたけどね。今の人はタイミングを外されても器用に当ててヒットにするでしょ。不器用な僕にはそれができなかった」  プロ野球選手として決して恵まれているとは言えない体をフルに使い、ボールを飛ばすことだけを考え続けた門田。彼のような豪快な一本足とフルスイングでホームランを狙う打者がいなくなって久しいが、彼は自身が築き上げたこの打法について今何を思うのか? 「二本の足で地に足つけるのが人間なんやから、一本足で打つということはどえらい難しいことなんですよ。他の人はそんな難しい打ち方をわざわざ選ぶ必要ないんじゃないかと思いますね。当時から『強振するな、ヒットを狙え』とうるさく言われましたし、『お前が二本足で打てば3000本はヒットを打てた』と監督から言われたこともありました。確かにヒットだけを狙っていればもっと打てただろうと僕も思ってます。でも、僕はホームランが打ちたかった。それには、足を上げて体が捻れるくらいバットを振るしかなかった。とはいえモノにするのに10年近くかかってるからな……。やっぱり、もっと楽な打ち方があるんちゃうかなと思いますよ、僕は」  取材時に門田からもらった名刺の裏にはただ大きく「本塁打一閃」の文字のみ。本塁打の一瞬の快感に心を奪われ、体格のハンディを克服すべくもがき苦しんで生まれたのが、門田の一本足だったのだ。 【門田博光】 ’48年、山口県生まれ。左投左打。’69年にドラフト2位で南海ホークスに入団。2年目にレギュラーに定着し打点王を獲得。’81年に44本の本塁打を放ち初の本塁打王を獲得したほか、晩年も打棒は衰えず40歳にして本塁打王、打点王を獲得。「不惑の大砲」と呼ばれた 取材・文/SPA!「一本足打法」分析班 写真/アフロ
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