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川内優輝がフルマラソンを走りまくる理由

出たいレースは自ら交渉。招待選手になれば旅費はタダ

通常3日間の有給で海外レースに参戦

水曜まで勤務し、通常3日間の有給で海外レースに参戦。火曜朝に帰国。そのまま出勤することも

 改めて川内にとってマラソンはどんなものかと尋ねれば、「人生というか、本気の趣味。生涯ずっと付き合っていくもの」だという。 「レースに多く出て、レースを練習にするなという人もいるかもしれません。ただ私の場合は普段一人で走っているので、レースなら給水の心配もしなくていいですし、記録も測ってもらえて、競う相手もいる。これほど素晴らしいものはないですから(笑)」  最近は毎月のように海外のレースにも出ており、9月のオスロ・マラソンでは通算26回目の優勝も果たしている。 「オスロはそれほどレベルの高いレースではありませんでしたが、エチオピア人をぶっちぎって優勝しました(笑)。私はもともと旅行が大好きで日本全国を回りたいと思っていたのですが、マラソンが強くなったことで海外にも行けるようになりました。最近はゴールドラベル(過去3年間で2時間10分以内を出した選手)ということで、出たいレースには交渉するとだいたいOKになります。招待選手になると、移動の飛行機やホテルはもちろん用意してもらえます。旅行が趣味な私にとって、世界各国のレースに自分の思うがままに出られるなんて、こんなに楽しいことはないですよ!」

’20年までにはフルマラソン出場100回を超えたい

 ユーラシア、北米、オセアニア、アフリカの4大陸でフルマラソンを走ってきたが、いまだ踏んでいないのは南米大陸の地だけだ。 「昨年リオ五輪に出ていればよかったのですが……。南米は移動に時間もかかりますし、有休を消費して行く私にとっては簡単ではないですが、いつか実現できたらと思っています。本当は10月にアルゼンチンのブエノスアイレス・マラソンから招待が来ていたんですけど、すでに高島平ロードレースに出ることが決まっていたのでやむなく諦めました(苦笑)」  可能なら’20年までにフルマラソン出場100回を超えたい。市民ランナーである自分に引退はなく、代表を目指さなくても走ることをやめるつもりはないという。  常にパワフルに走り続けている川内なら、20年東京は回避したとしても7年後の’24年パリ五輪で代表復帰があるかもしれない。 「石川末広さん(ホンダ)は36歳でリオ五輪に出ましたよね。’24年だと私は37歳ですが、走れるようだったら頑張るかもしれない。パリなら涼しいし、いつか走ってみたい場所ですから(笑)」 川内優輝【川内優輝】 ’87年、東京都生まれ。埼玉県立春日部東高を経て学習院大学へ。卒業後は’09年に埼玉県庁に入庁し、’14年4月より久喜高校(定時制)の事務職に。実業団に属さず、市民ランナーとして競技を続け’13年3月には自己ベストの2時間8分14秒をマーク。五輪出場はないが、日本代表として世界陸上に3度出場 取材・文・撮影/栗原正夫 ― 川内優輝がフルマラソンを走りまくる理由 ―
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