薄毛家系に生まれた男の“忘れられない思い出”――爪切男の『死にたい夜にかぎって』<第4話>
「アスカ、俺の髪の毛切ってみる?」
「……へ?」
「バリカンの使い方教えるからさ。やってみなよ」
「……」
「どうせ坊主だから失敗とかないから気楽にさ」
「……変な人」
「これが俺の愛だよ」
「あはは、ありがと。刈ってあげるね」
「アスカ! やれんのか! おい!」
照れ隠しに高田延彦のモノマネをした。私は照れた時だけモノマネをする。
週に一回、自分でバリカンで刈っている坊主頭。祖父は三十代、親父も四十代でツルッパゲになるという若ハゲ家系に生まれた私は、二十代の頃から抜け毛による薄毛に悩まされていた。ナイル川の水で作った育毛剤という怪しい商品に二年間ほど頼った時期もあるが、効果はまったくなかった。私の髪を救えなかったエジプト文明はクズだ。ピラミッドは場所を取り過ぎだから燃えていい。カツラ、増毛など髪の毛を増やすのには高い費用がかかりそうなので諦めた。いろいろと考えた挙句、ハゲた時にさほど印象が変わらないように、若いうちからずっと坊主頭にしておくことにした。何の役にも立たないと思っていた髪の毛、それを刈ることで、愛する女が笑ってくれるのならば、私の髪の毛にも生まれてきた意味があるというものだ。
毎週毎週アスカは実に楽しそうに私の髪の毛を刈った。十年以上、散髪屋に行っていなかった私も、久々に頭皮に触れる他人の手のあたたかい感触が嬉しかった。たまに薄ら笑いを浮かべながらバリカンを構える彼女。減薬による禁断症状で、包丁を持って私に襲い掛かってきた時のアスカの顔が脳裏に浮かぶ。やりようによってはバリカンでも人を殺せるはずだ。時に冷や汗をかきながらも、週に一回のアスカ美容室(坊主専門店)は営業を続けた。最初は下手糞だったバリカンの扱い方も、回数を重ねるごとに一人前になってきた。彼女の成長を頭に感じながら私は笑った。どうせ時とともに死ぬ運命の毛根ならば、愛する女の役に立って死ねばいい。
大事件が起きた。
「私、飽きた」
「え?」
「つまんない」
「なんでそんなこと言うの」
「髪の毛の量が少ないよ。刈っててもつまんない」
「週に一回じゃ仕方ないだろう」
「もっと髪の毛伸ばしてよ」
「……え?」
「なぁ、伸ばせよ」
「……」
「……」
「髪の毛を伸ばすと、俺の薄毛がバレちゃうよ」
「だから?」
「……」
「返事は?」
「分かりました」
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『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
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