死にたい夜にかぎって空にはたくさんの星が輝いている――爪切男の『死にたい夜にかぎって』
年が明けて二〇一一年の一月。お正月休みを利用して、アスカのお母さんが名古屋から東京に来ることになり、三人で食事でもということとなった。アスカと会うのは五年ぶり、私とは初対面である。お母さんが「ファミレスでゆっくりしたい」と言うので、近所にあるサイゼリヤに入った。大切な話をするのに適しているとはお世辞にも言えなかったが、静かな場所で重い話をするのに比べれば、これぐらい騒がしい場所の方が気が楽だった。
がん患者とは思えない食欲で、勢いよくパスタをかきこむお母さん。茶色に染めたロングヘアーがよく似合っている。もうすぐ六十歳になるとは思えない若さ溢れる外見は、歌手の大黒摩季を彷彿とさせた。初めて会った時の印象は「まだ抱ける」だった。重苦しい雰囲気になることを恐れてか、自分の病気の話は一切せずに私とアスカの馴れ初めを根掘り葉掘り聞いてくるお母さん。といっても、「あなたの娘は自分の唾を変態に売って生活していたんですよ。生きるためにそこまでするガッツに惚れたんです」と本当のことが言えるわけもなく、私のただの一目惚れ、ということにしておいた。
食事も終わって、食後に服用しなければいけない安定剤を飲むためにアスカはトイレに行った。余計な心配をかけぬように、心の病のことはお母さんには内緒にしているそうだ。不意に訪れた二人きりの時間。気を紛らわすための飲み物を口に運ぼうとしてコップが空なことに気付く。ドギマギしている私を見てお母さんは微笑を浮かべ、熟練の手つきでジッポを操り煙草に火を点けた。大きく煙をひとつ吐き出してから口を開いた。
「うちの娘と結婚する気はあるの?」
「……え」
「どっちなの?」
「したいです」
「すぐにできる?」
「すぐは難しいですけど、できるだけ早くしたいです」
「急いでくれないと、私、死んじゃうんだけど」
「……すみません」
「一年以内に結婚してくれる?」
「……頑張ります」
「冗談よ。私が死ぬのは本当だけど」
「……」
「あんた達の人生なんだから、無理に結婚しろなんて言わない。結婚が大変だってことは私がよく分かってるからね」
「……」
「結婚しなくてもいいよ。でも、できるだけあの子のそばにいてちょうだい。いい?」
「はい。安心してください」
「いい子ね。会えてよかった」
にっこりと笑うお母さん。その表情はとても満足そうでもあり、また同時に悲しい顔にも見えた。何か言葉をかけてあげなくてはと思った。
「……あの」
「何?」
「僕にできることないですか? あなたの……」
「お母さんって呼んでいいわよ」
「ありがとうございます」
「ちょっと照れるけどね」
「お母さんのために何か……、たとえばアスカと一緒に旅行に行きたいなら、そのお手伝いをするとか……」
「そんなのはいらない。したけりゃ自分でするから」
「……すみません」
「ねぇ、あんた映画詳しい?」
「え? はぁ……本当に少しだけなら」
「私、死ぬのが分かってから映画にハマっちゃってさ、DVD借りれば部屋で観られるから寝たきりになっても楽しめるでしょ」
「はい」
「あんたのお勧めの映画教えてよ。あたし、映画全然知らないんだ」
「はい、フェリーニの……」
「あ、口で言われても忘れちゃうからさ! メールで送って。だからメアド交換しよ」
「は……はい」
「そうね。毎月五本ぐらい、映画を教えてよ。それを借りてくるから」
「五本……分かりました」
「それと一緒にアスカの様子も教えて。あの子、自分のことを何にもしゃべらないから心配なの」
「分かりました」
「このことはアスカに内緒ね。バレたら怒られちゃうから」
「約束します」
三十一歳と五十九歳の秘密のメール交換が始まった。アスカには悪いなと思ったが、浮気をしているわけではないので、それほど心は痛まなかった。少しでも闘病生活の励みになればと、毎日暇があればアスカの様子をメールで送った。不安を煽らないように、実際の生活よりも三割増しぐらいの楽しい生活を送っているように脚色した。
困ったのは、月に一度のお勧め映画紹介だった。大病を患っている人にどういうジャンルの映画を紹介すればいいのか分からない。コメディ映画で笑ってもらうのがいいのか、感動物で泣いてもらうのか。さすがに人がたくさん死ぬ映画は避けておくのが吉だろう。悩んだ挙げ句、『愛と青春の旅立ち』や『ニュー・シネマ・パラダイス』といった外れのない無難な名作映画をチョイスして送った。
「感動物ばっかりでつまんないよ。変に気をつかわないでいいから、本当に好きな映画を教えなさい」
お叱りを受けた私は腹をくくった。翌月は『フロム・ダスク・ティル・ドーン』、『処刑人』、『スターシップ・トゥルーパーズ』、『バタリアン』、『ザ・フライ』という趣味丸出しの五本を送ってみたところ、「最高! こういうのどんどん頼むよ」と好評だった。この人は本当に末期がん患者なのだろうか。自分の趣味を褒められたことが嬉しかった私は、映画好きの友達に勧めるような軽い感覚で、毎月の五本を選ぶようになった。連絡を重ねるうちに、お互いの距離はどんどんと縮まっていき、二人の関係は血のつながっている親子のようになっていた。
⇒特設サイトで『死にたい夜にかぎって』をいますぐ試し読み! http://www.fusosha.co.jp/special/tsumekiriman/
『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ