死にたい夜にかぎって空にはたくさんの星が輝いている――爪切男の『死にたい夜にかぎって』
二〇一一年四月、事件が起こった。私がアスカにフラれてしまったのだ。アスカに他に好きな人ができてしまった。しかもその相手が陽気なDJときたもんだ。陽気なDJに勝てる男なんてこの世には居やしない。自分の敗北を悟った私は、お母さんにも別れの挨拶を送ったのだが、その返答は驚くべきものだった。
「アスカのことはもういいよ。でも私との約束は継続してちょうだい。今月もお勧め映画待ってるからね」
死を間近に控えたお母さんは他人とのふれあいに飢えていたのか。それとも、フラれてしまった私が変な気を起こさないように気をつかってくれたのか。答えは分からないが、世界で自分だけが一人ぼっちになったような寂しさを感じていた私には、このメールは本当に嬉しいものだった。涙を流しながら、生まれて初めてメール保護をして、今月のお勧め映画を探した。愛する彼女はいなくなったが、お母さんは私を捨てずにいてくれた。
アスカにフラれて三ヶ月。心身ともにようやく立ち直りかけた二〇一一年の初夏、永遠の別れがやってきた。携帯の着信画面に久しぶりに表示された「アスカ」という名前を見た時に嫌な予感がした。アスカのお母さんが亡くなってしまった。最後にもらったメールには「最近は身体を動かすのも大変でさ。教えてもらった映画も全然観れてなくてごめんよ。死ぬまでに観るから許してね(笑)」と書かれていた。最後にお勧めした映画が、よりによって『エイリアン』シリーズだった。お母さんは『エイリアン』を観てから死んだのだろうか。それとも観ないで死んだのだろうか。人生で最後に観た映画が『エイリアン』だったら申し訳ない。
「お母さん、眠るように死んだよ。薬のおかげで苦しまずに天国に行ったみたい」
別れた男に悲しみを悟られないようにしているのがアスカの震える声から伝わってきた。その気持ちに応えて、あえて優しい言葉はかけなかった。
「よかった。教えてくれてありがとう」
「うん。あとさ、お母さんから贈り物あるんだけど住所変わってないよね?」
「贈り物? うん、変わってないよ」
「あんたに送れって遺言で書いてたからさ。じゃあ明後日ぐらいには着くから」
「分かった、ありがとう」
一週間後、荷物が届いた。明後日に着くと言っておいて、これぐらいになるのがなんともアスカらしい。少し大きめの段ボール箱を開けてみると、その中には映画のDVDがぎっしりと詰まっていた。私がお母さんにお勧めした映画のDVDだ。一つの漏れもなくすべての作品がちゃんと入っていた。
「買ってんじゃん」
思わず声に出して言ってしまう。
「借りればいいのに全部買ってんじゃん」
涙声でもう一度言ってみる。
「これ俺もDVD持ってるからかぶっちゃうし」
その後はもう言葉にすることが出来なかった。箱いっぱいのDVDから「あなたはしっかり生きなさいね」というお母さんの声が聞こえた気がした。
死にたい夜にかぎって空にはたくさんの星が輝いている。人生というのはそういうものだ。これから先の人生であと何回死にたい夜に襲われるか分からないが、そのたびに夜空を見上げれば、満天の輝く星たちが私を勇気づけてくれるし、不安という雲に隠れて星が見えない夜だって、お母さんが残してくれたこのDVDがあるかぎり私は死なない。きっと大丈夫。ただ、『エイリアン』を観るたびに、お母さんのことを思い出してちょっと泣いてしまうのだけは困りものだ。
文/爪 切男 ’79年生まれ。会社員。ブログ「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」が人気。私小説『死にたい夜にかぎって』で作家デビュー。犬が好き。 https://twitter.com/tsumekiriman
イラスト/ポテチ光秀 ’85年生まれ。漫画家。Web「オモコロ」で「不可解漫画/どうした?!」など4コマ漫画を連載中。鳥が好き。 https://twitter.com/pote_mitsu

―[爪切男の『死にたい夜にかぎって』]―
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