ニュース

今年「独立100年」となるポーランドの独立と日露戦争

ポーランドの聖地、ピウスツキ広場にある無名戦士の墓

2018年11月11日がポーランドの独立100周年記念日で、来年は日本との国交樹立100年となる。「ポーランド共和国建国の父」の名前からとられたピウスツキ広場の無名戦士の墓には2人の衛兵が常に直立不動で立っている(撮影/江崎道朗)

 現在、世界中が注目するなか開催されているFIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会。28日に、日本代表はポーランド戦が予定されている。奇しくも日本は、ポーランドとロシアと浅からぬ縁があることをご存じだろうか――。

 今から100年以上も前の1904年、日本は、朝鮮半島から日本へと南下するロシアと戦った。この日露戦争における「日本の勝利が、アジアのすべての国々に大きな影響を与えた」(インドの初代首相ネルー)ことはよく知られているが、影響を与えたのは、アジアだけではなかった。

 今年5月、ポーランド政府の協力を得て「独立回復100年」に沸くポーランドを訪問した。主として近現代史に関する取材をしたのだが、ロシア、次いでソ連と戦いながら祖国の自由と独立を求めて戦い続けたポーランドの勇気と苦難の歴史には深い感銘を覚えた。

 しかも、そのポーランドの苦闘には、日本が密接に関係していることを知った。特に1904年に始まった日露戦争がロシアの支配に苦しんでいたポーランドの独立運動の指導者たちに大きな影響を与えていたのだ。首都ワルシャワの中心部に位置するピウスツキ広場には、2人の衛兵が常に直立不動で立っている、無名戦士の墓がある。ポーランドの聖地であるこの広場の名前は、「ポーランド共和国建国の父」と呼ばれるユゼフ・ピウスツキ元帥の名前からとられていて、広場の一角にはピウスツキ元帥の銅像が立っている。

建国の父が後押ししたポーランドの独立


 日本ではほとんど知られていないが、このピウスツキは日露戦争の際に日本に協力しようとしてくれた方なのだ。

 1795年にロシア、プロイセン(ドイツ)などによって分割されたポーランドはその後、ロシアによる苛烈な弾圧に屈することなく、必死に独立運動を繰り広げた。 必然的にロシアに立ち向かう日本に対する関心も高まり、日露戦争が始まるや、独立運動の指導者であったピウスツキはわざわざ訪日した。彼は日本側に対して日本軍のためのポーランド人軍隊を召募することを提案した。

 この提案に感銘を受けた明石元二郎らはピウスツキらに武器・弾薬の購入資金を提供、それと引き換えにロシア軍の動向や社会情勢についての情報を定期的に日本側に提供してもらったという(河添恵子著『世界はこれほど日本が好き』祥伝社)。

 日本が勝利すると1908年、ピウスツキは私設軍隊を創設し、独立の動きを強めていく。そして第一次世界大戦とレーニン率いるロシア革命によってロシアが弱体化した隙をついてピウスツキらはポーランドの独立を主張、1918年、アメリカのウィルソン大統領が主導したパリ講和会議もこれを追認、実に123年ぶりに独立を回復したのだ。今年はちょうど「独立100年」にあたる。しかも来年、日本とポーランドは「国交樹立100年」を迎える。

 日露戦争以来の友好を知るポーランド人は今回のW杯ロシア大会をこう悔しがっていた。「日本対ポーランドではなく、日本対ロシアだったらよかったのに」。

(文/江崎道朗●評論家)

’62年生まれ。九州大学文学部哲学科を卒業後、月刊誌編集長、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、外交・安全保障の政策提案に取り組む。著書に『日本は誰と戦ったのか』(ベストセラーズ)、『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)など





おすすめ記事