堂々完結! 英語力ゼロだったバツイチおじさんが世界23か国、2年と8か月も続けた「世界一周花嫁探しの旅」をやめる本当の理由〈最終話〉
【スペイン・イビザ島】
その後、スペインに戻り、バルセロナ、南スペインの港町ペニンスコラ、パエリア発祥の地バレンシアとベタな観光をした後、ヨーロッパのバカンスの集大成であり、パーティーアイランドでおなじみのイビザ島に滞在することにしました。ドミトリーで仲良くなった、ブラジル人、イタリア人、エクアドル人とトランスパーティーに繰り出すと、そこには世界中のお洒落なパーティーピィープルが集まっていました。イビザのパーティーは音楽も演出もものすごく洗練されいて、楽しいことは楽しいのですが、とにかく値段が高いし、どこか新鮮味がない。
「ま、こんなもんか。そろそろ他の国に行くか」と計画を立てている時、インドのヒマラヤ山脈でヒッピー暮らししている時に出会った、スペイン人の女友達ヨナハから連絡が来ました。
ヨナハ「オラー! ごっつ、イビザにいるの?」
俺「うん。来たよ」
ヨナハ「ラブリー」
俺「でも、宿が高いからもう次の国に行こうかと思ってるんだ」
ヨナハ「イビザ高いもんね。あ、もしよかったらうちに泊まらない?」
俺「え?」
ヨナハ「友達と住んでるけど、おいでよ。一室空いてるからお金かからないわよ」
俺「本当? 行く行く! 喜んで行くよ」
かつてインドで洞窟に住んでいたヨナハはキューバ人彼氏と女友達の3人で海沿いの掘っ立て小屋を違法改築して住んでいるとのこと。彼女もさすらいの旅をした経験が長く、俺が長旅で貧乏なのをよーく理解している。さすがヒッピー、さすがシェアカルチャー。急遽予定を変え、彼女たちカップルとその友達、そして2匹の犬と一緒に住むこととなりました。
そこには、水、電気、ガス、トイレがない。もちろんWi-Fiなんか飛んでるはずもない。ヒマラヤ山脈以来の自然生活です。ナチュラリストでビーガンの彼女らの食事はバナナなどの果物とフランスパンがメイン。俺も数週間、彼女らと一緒に果物とフランスパンと水だけの食事で過ごしました。太陽が沈めば眠り、太陽が昇れば目覚めるという草食動物のような生活。なんだか心が穏やかになってきました。
イビザには密かに世界中から集まるヒッピーコミュニティがあり、都会の生活に疲れたヨーロッパのインテリが集まっています。まるで、本で読んだアメリカ・ポートランドのヒップスターのような人種です。ヨナハの彼氏は昼間仕事があるため彼女たち二人とワンちゃんに、誰もいないものすごく綺麗な秘密のビーチへと毎日連れて行ってもらいました。ちなみに二人のスペイン美女はビーチではずっと全裸。とてもラグジュアリーな時間を過ごさせて頂きました♡
他にもヒッピーが集まるドラミングのジャズセッション、サンセットの民族音楽パーティーなどにも連れて行ってもらいました。
また、週に数回ガレージセールがあり、そこで安く物を買い、いらないものは売ったりしていました。ほとんど英語の通じないスペインなのに、そこに集まる人のほとんどは英語が堪能です。インドのヒッピーと違い、大型スーパーで買い出しをし、時にはコインランドリーも使うという合理的な一面もあります。イビザのヒッピーたちは、本当にお金がないわけではなくあえてそういう生き方をしているようにも感じました。どこか資本主義に反発しているかのような考え方です。
イビザのヒッピーは、世界中からやってきてお金を派手に使うパーティーピーポーとは生き方が対照的だったのが面白かったです。ナチュラルな生き方を愛する彼らは、なかなか筋の通ったラブ&ピースマインドの人が多く、みんな自然を愛するイイ奴ばかり。田舎育ちの俺は都会暮らしよりそっちのほうが合っているんじゃないかとさえ思いました。彼らの洗練された生き方から多くを学び刺激を受け、いろんなことを考え感じさせてもらいました。どうもありがとう!
Fucking 資本主義!!ラブ&ピース♡ なんてね(笑)
【22か国目 イタリア】
その後、イビザからイタリア・ローマへと飛びました。というのもパスポートの有効期限が残り3か月を切ってしまい、次のエジプトに入国できないのです。そのためローマの日本大使館へ行き、パスポートを再発行してもらいました。その後、ドイツに15年近く住んでいる中学時代のバスケ部チームメイトとミラノで待ち合わせし、久しぶりの同窓会を開いたりしました。
イタリアは15年ほど前にロケで2回来て2周もしたことがあるため、長居をすることをやめました。そして今回の旅の大きな目標の一つであり、最難関のひとつであるアフリカ縦断をするため、エジプトヘと飛びました。
【23か国目 エジプト】
最初に降り立った町は南シナイ半島にあるシャルムエルシェイクという紅海に面するリゾート地です。ついにアフリカ縦断のスタート地点までやってきました。
だが、そこでまたしても事件が起きてしまいました。中東で毎日のように吸っていた水煙草(シーシャ)をカフェで吸っていた時のことです。40度近くの猛暑のせいか、急に意識が朦朧としてきました。今までたくさんのシーシャを吸ってきましたが、こんなことは初めてです。めまいがし、座っていられなくなり横に倒れました。何分寝ていたのでしょう? 気づいた時には多くの人が周りに集まっていました。
「おい!大丈夫か?」
店の人から氷入りのレモンスカッシュを渡されました。一気に飲み干すと目の前のかかっていた霞が晴れていきました。
「……たぶん、大丈夫です」
意識が戻り、持ってきた財布、パスポート入りのカバンをチェックしました。
「大丈夫! 何も無くなってない」
立ち上がろうとした時、あることに気づきました。
失禁していたのです。
うんことしっこが垂れ流し状態です。
どうやら完全に気絶し、失神していたようです。
なんとか立ち上がり部屋に戻ると、冷たいシャワーを浴びながら思いました。
「アフリカ先輩、厳しいッス」
早速、部活入部初日のようなアフリカ大陸の洗礼を受け、「なめんなよ!」と言われてるような気がしました。失神と失禁の原因は火の燃えが悪く、一酸化炭素を多く吸ってしまったことだと思います。
そして、この連載原稿の最終回を書くため、バックパッカーの聖地ダハブへとバスで移ってきました。ところが、ダハブはWi-Fi環境がかなり悪く、調べ物をするのに1回の検索で10分近くかかってしまいます。イライラするし、40度を超える暑さだし、書いても書いても進みません。しかも、あと数日でエジプトの一か月ビザが切れてしまいます。仕方がないのでシャルムエルシェイクに戻り、55ポンド(3402円)と痛すぎる出費で半年ビザをゲットし、カイロに移動し連載を書き進めました。
それから、南エジプトのスーダン国境近くにあるアスワンという町で、一泊300円の安宿を見つけ、気温47度とまるでドライヤーの温風のような猛暑の中、モスクから流れるアザーンを聞きながら修行僧のようにこの連載の続きを書きました。その後、担当編集とLINEやメールでやり取りをしながら24か国目、アメリカテロ指定国家であるスーダンの首都ハルツームに入国し、現在ここで最後の仕上げを書いてます。最終回を書き始めて1か月半の時が過ぎ、もう旅は2年と9か月となってしまいました。
ここまでが旅のダイジェストです。簡単に振り返るつもりがかなりの長文になってしまいました。他にも書きたいことは山ほどありますが端折って端折ってこの長さです。1つのエピソードで1話分はかけるほどの面白い話や気づきも沢山ありました。3年近くも旅を続けているのだから当然のことです。そして、3回にわたって書き綴ったこの「旅のダイジェスト」には、そもそもの旅の目的である「世界一周花嫁探し」は一切含まれていません。もちろん、いくつかの淡いラブストーリーはありましたが、今回そのお話は書きません。なぜか? それは連載を休止する理由のひとつではあるのですが、それは改めて後述します。
まず、なぜ「世界一周花嫁探しの旅」の連載をやめることになったのか。
1969年大分県生まれ。明治大学卒業後、IVSテレビ制作(株)のADとして日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ!」の制作に参加。続いて「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ)の立ち上げメンバーとなり、その後フリーのディレクターとして「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ)「トリビアの泉」(フジテレビ)をチーフディレクターとして制作。2008年に映像制作会社「株式会社イマジネーション」を創設し、「マツケンサンバⅡ」のブレーン、「学べる!ニュースショー!」(テレビ朝日)「政治家と話そう」(Google)など数々の作品を手掛ける。離婚をきっかけにディレクターを休業し、世界一周に挑戦。その様子を「日刊SPA!」にて連載し人気を博した。現在は、映像制作だけでなく、YouTuber、ラジオ出演など、出演者としても多岐に渡り活動中。Youtubuチャンネル「Enjoy on the Earth 〜地球の遊び方〜」運営中
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