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薄れゆく意識の中、脳裏に響いた前田敦子の声――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第21話>

歓喜のドルオタ「あっちゃんの、あっちゃんの、声が聞こえる……!」

 泣いていた。 「あっちゃんの、あっちゃんの、声が聞こえる……! 倒れてもステージの裏で歌っているっ!」  ボロボロと大粒の涙を流し、もうサイリウムも振れなくなっていた。感激のあまり生まれたてのヤギみたいにプルプルと震えていた。僕はその光景を眺めながら、「そういうもんか」といたく感心したのだった。  “聞こえないはずの声”が聞こえた時、人は様々な感情を抱く。なぜなら、本当はそこに存在してはいけないものだからだ。では、そもそも“聞こえないはずの声”とはなんであろうか、ちょっとその部分から考えてみたい。  例えば電車の中で仲の良さそうな大学生二人が、ちょっと音量大きめに会話をしていたらどうだろうか。 「この間の合コンでさあ、かわいい子いたじゃん?」 「いたっけ?」 「ほら、あのロードオブメジャーに似てる子」 「ああ、あの子ね」 という会話があったとする。ロードオブメジャー!? と思うかもしれないし、ちょっとうるさいなあと思うかもしれないが、そこまでストレスではない。できれば声のトーンは抑えて欲しいが、そこまで不快ではない。  ただ、同じ電車内の会話であっても、これが携帯電話片手に行われている会話だったらどうだろうか。 「うん、そうそう、この間の合コンでさ、そう、かわいい子いたじゃん。そうそう、バカ、違うよ、あのロードオブメジャーみたいな子」  という会話が聞こえてくると、ロードオブメジャー!? となるし、同時にちょっとしたストレスになる。実はこれは人間の脳の構造に起因しているのではないかと言われている現象なのだ。  電車内の会話がそこまでストレスではないのに、携帯電話の会話はストレスである。これは“聞こえないはずの声”に起因するのだ。  聞こえない声がそこに存在すると、人間はそれを補う会話を頭の中で勝手に組み立てる。具体的に言うと、携帯の向こう側の相手を想像し、パズルのピースをはめるようにどんな会話がなされているか想像するのだ。これは無意識に行われるものであり、かなり頭を使う。だからこそ携帯電話の会話は多くの人にとってストレスになるのだ。  “聞こえないはずの声”  それに関するこんなエピソードがある。  その日、僕はうんこがしたかった。電車に乗っていて涼しい顔をしていたが、すごくうんこがしたかった。これはいよいよ目的地までもちそうもない。そう考えた僕は、頭上に貼られていた停車駅の案内を見ながら、どこの駅で降りてうんこをするか考えていた。  この列車は準特急なのでそこまで停車駅が少ないわけではない。ただ、あまり小さい駅だとトイレの大便ブースが少ない可能性がある。そうなるとせっかくトイレに辿り着いても満員御礼ソールドアウトとなり、便器を目の前にして漏らすこともありえてしまう。  お腹の具合からどれくらい持つか冷静に判断し、そのなかでも比較的大きめの駅で降りるようにしなければならない。また、大きな駅の方がうんこのあともすぐに後続の電車がやってきてリカバリーが効きやすく効果的、という算段が確かにあった。  こういった打算的な考えは往々にして正義で、人生を効率的に進ませてくれるが、うんこに限っては悪であることが多い。降りれるときに降りる、行けるときに行く、出せるときに出す、これを愚直に守らなければ重大なインシデントとなりえる。それがうんこだ。  打算的に小さな駅をスルーした僕は、悶えていた。途方もない腹痛が押し寄せていたのだ。完全に人類の限界を超越したその便意は、一人の人間がどうこうできる限度を超えていた。自分の愚かさを呪い、見悶えながらも命からがら下車し、比較的大きな駅のトイレへと駆け込んだ。  そこには、大便ブースが2つしかなかった。  正気の沙汰じゃない。設計ミスとしか思えない。設計者、頭おかしい。  調べてみたら、一日の乗降客数がかなり多い駅だ。すごい人がいる。電車もいっぱい来る。なのに大便ブースが2つだ。何万人と通り過ぎる駅なのに、2人しかうんこを許されないのだ。これはちょっと設計した人に殺人罪とか適用してもいいんじゃないだろうか。  もちろん、大便ブースは満員御礼ソールドアウトだ。  空しく、トイレ内に立ち尽くし、大便ブースが開くのを待つ。人生においてトップレベルに位置する無為な待ち時間だ。せめて大便ブースを3つあれば、何人の人生が救えるだろうか。あの掃除道具入れをなんとか工夫したら3つ目作れたんじゃないか、そう考えながら待つ。とにかく待つ。すると、ブースの中から声が聞こえてきた。 「お、おう、ちょっと待ってろ」
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大便ブースから聞こえないはずの声が……!
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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