ライフ

薄れゆく意識の中、脳裏に響いた前田敦子の声――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第21話>

大便ブースから聞こえないはずの声が……!

 見るからに、いや聴くからにおっさんと分かる声だ。そのおっさんがブースの中から話しかけてきている。  僕は動揺した。こんなダイレクトアタックはじめてだ。返事をした方がいいのだろうか。「待ってます」とか言った方がいいのだろうか。そうしたらおっさんも早く出てくれて、僕も漏らす必要もなく、WIN-WINの関係を築くことができる。そうだ、答えるべきだ、そう思った刹那、さらに大便ブースから声が聞こえた。 「そうだなあ、じゃあセイナちゃんにしようかなあ」  せいなちゃん? 一瞬、なんのことか分からなかったが、後に続くブースからの声でだいたいのことが分かった。 「え、2時間待ち? まいったなあ、他にどんな子がいるの?」  こ、こいつ、大便ブースから風俗店に予約の電話をしてやがる……! 返事しなくてよかった。トイレで電話してたらよく分からないやつが返事してきたと思われるところだった。  この日本という国は近年になって総中流社会が終わりを告げ、格差社会が到来したと言われている。そんな格差社会の歪がここ設計ミスとしか思えない駅のトイレでも巻き起こっているのである。  片や、優雅に大便ブース内でうんこをし、どの風俗嬢を指名するか吟味に余念のないおっさん、片や、小便器の前に立ち尽くし、いよいよとなったらあの掃除道具入れの中のモップを洗うところですることも辞さないと覚悟するおっさん。明確な格差がそこにあった。 「え、メグちゃんならいける? ちょっとまってくれよ」  ブースから漏れてきた声で覚悟した。こいつ、指名する風俗嬢が決まるまで出てこないつもりだ。彼が誰を指名すると決めるか、僕が漏らすか、その勝負になると。  もう一個のブースからは物音一つ聞こえない。長年の経験からこういうブースは長期戦の構えだ。期待できない。やはりこの風俗予約との戦いになるのだ。  しかも、件の男、けっこう吟味するタイプの男らしく、店から勧められた女の子を、スマホの通話をバックグラウンドで維持したまま、ホームページでチェックしてるっぽい。 「こういう派手そうな女はあまり好きじゃないわけよ。おまけにパイズリないわけでしょ」  ここまでグイグイ言ってのける男もなかなかすごい。 「ああん? ちょっとの待ち時間で新人のマリちゃん? ちょっと待って」  ここで、会話はおっさんのものしか聞こえなく、頭の中で店側の言葉を想像しなければならないのだけど、不思議とストレスはなかった。なぜならばおっさんはいちいちオウムのように全部を復唱するからだ。 「ダメだよ、パイズリないじゃん。え、他のサービスは良い? ダメだよ、パイズリ以外はサービスじゃない」  めちゃくちゃパイズリにこだわっとるな、別にそんなにいいもんじゃないだろ、妥協して決めろよ、漏れるだろ、と思うのだけど、彼のこだわりは終わらない。 「ふんふん、ミユキちゃんならパイズリあり? ちょっとまてよ」  彼はまたホームページをチェックし始める。店側も店側で、ずっとパイズリパイズリ言ってんだから最初からミユキを出せよと思った。そうすれば僕も今頃うんこできていただろ。 「じゃあ、このミユキでいいよ」  やった。ついに指名する女が決まった。これでうんこできる。やった早くしてくれ。ありがとうミユキ、パイズリ可にしてくれてありがとう、ミユキ。しかしながら地獄はこれで終わりではなかった。
次のページ right-delta
僕「あっちゃんの、あっちゃんの声が聞こえる……!」
1
2
3
4
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


記事一覧へ
おすすめ記事