ここは当然9条の問題を組み込むべきだろう
――たしかに純文学のコードに安住してしまうと、いつのまにか限られた読み手にしか言葉が届かなくなってしまいますよね。
上田:そういう意味で、書き手にとってもインタラクティブな体験になるというか、小説の外の世界と対話する機会にもなっているな、と。
――実際、上田さんの作品には社会と現在進行形でリンクするモチーフも多いですよね。今回の『キュー』では、第二次大戦の歴史を未来から逆照射する構成になっていると同時に、憲法9条が重要なモチーフになっています。
上田:実は、僕の中では「キュー」という音だけが最初にあったんです。で、実際に書こうというタイミングで今のような世の中の流れになったから、ここは当然9条の問題を組み込むべきだろうと踏んだだけ。これはもう、ある種の勘です。
――そういえば『異郷の友人』(※6)を執筆していたときはちょうど天皇制が揺らいでいた時期だったため、日本神話と古事記をモチーフとして導入したという話も聞きました。
上田:なぜだか作家がそういうことをするのはダサいみたいな空気があるじゃないですか? 政治的、社会的なことを露骨に反映させると純文学的じゃないと言われてしまうというか。あれっておかしいんじゃないかと感じていて。僕自身は、今起こっている現象には今起こるだけの理由が必ずどこかあると思っているから、積極的に導入したほうがいいと思っている。問題は、そのうえで小説としての強度を保てるかどうか。僕がしょっちゅう卑近なネタを入れ込むのもそうしたことが理由です。
――実際、今作にも「ゲス不倫」「ドナルド・トランプ」といった直近のワードが嵌め込まれていますが、あれも意識的なのでしょうか。
上田:そうですね。それぐらい卑近なことを書いても文学にできるという実験をしたい気持ちはあります。強度チェックというか(笑)。
――上田さんは専業作家ではなく、ベンチャー企業で役員として働きながら作家活動を続けられていますが、そういった境遇が執筆の上でプラスになる点はありますか。
上田:作家って、究極的にはなんでも自由に作品に書けてしまうんですよ。つまり神の視点に慣れてしまって箍(タガ)が外れてしまう。けれど、あまりに野放図になってしまうと、作品のリアリティが担保できなくなってしまうという面がある。その点、僕の場合は「作家以外の業務」が批評的に機能していることは確かです。別に会社勤めじゃなくても、翻訳や評論の仕事でもいいんですよ。とにかく、自分の力だけではどうにもならないものを扱うことが、作品のリアリティに貢献するということは確実にある。
――ずっと閉じ籠もって書き続けるよりは、現実社会に片足突っ込んでいるほうがいい?
上田:そうですね。やっぱり小説の中で用いられる情報も更新されていくわけで。若くしてデビューした人の作品が、ある時点から時が止まっているように見えてしまうことがあるのは、そういう要因もあるのかなと。でもそれはそれで大事な個性で、そういった作家にしか表現できないものもあると思うんです。僕自身は、30過ぎてから作家デビューというプロセスを経たことは自分の目指す作家像に寄与しているとは思っています。
――とはいえ、純文学は専業の人も多いですよね。どこか浮世離れしているイメージがあるというか、たまに執筆以外の場に引っぱり出されてもうまくしゃべれないケースが圧倒的に多い気がします。
上田:それも作家の個性ですから、それでいいんだと思います。ただ、作家のプレゼンスが高かった時代と違って、今は周りのほうから耳を寄せてくれるような時代ではないのも事実。「聞こえないな」で終わっちゃうのはもったいないし、そうしないためにできることは、純文学といえど作家自ら提案していくのもこれからは大事な仕事なんじゃないかと思っています。
<取材・文/茗荷谷ゆかり 撮影/尾藤能暢>
【上田岳弘】
’79年、兵庫県生まれ。’13年『太陽』で第45回新潮新人賞を受賞しデビュー。’15年『私の恋人』で第28回三島由紀夫賞を受賞。’16年、イギリスの老舗文芸誌『GRANTA』のBest of Young Japanese Novelistsに選出。’18年『塔と重力』で平成29年度芸術選奨新人賞を受賞。’19年『ニムロッド』で第160回芥川賞受賞。その他の著書に『太陽・惑星』『私の恋人』『異郷の友人』『塔と重力』など
※1 『私の恋人』
新潮社刊。前世の記憶を持ちながら十万年の時を超えて転生を繰り返す「私」をモチーフに、人類の運命とボーイミーツガールの奇跡を重ね合わせたロマンティックな傑作。三島賞受賞作
※2 『キュー』
新潮社、Yahoo! JAPAN、takramの3社合同プロジェクト。毎月『新潮』誌上で連載されると同時に、Yahoo! JAPANのスマホ版ブラウザで無料配信されていた。「シンギュラリティ」をキーワードに、心療内科医の男が人類の進化をめぐる闘争に巻き込まれていく過程が描かれる。開くたびに変わる挿絵がシェアできたり、毎回連載の最後にアンケートが実施されるなど、単なる配信の枠組みを超えたインタラクティブな試みが注目された
※3 古井由吉(ふるいよしきち)
’37年生まれ。イデオロギーとは距離を置き、自らの在り方を内省的に模索した「内向の世代」の筆頭と目されている大作家。代表作に『杳子』『槿』『仮往生伝試文』などがある
※4 『太陽』
『太陽・惑星』(新潮社)所収。上田岳弘氏はこの作品で新潮新人賞を受賞しデビューした。ありとあらゆる経験をし尽くしてしまった人類が向かう先をドライなユーモアたっぷりに描く
※5 ガルシア・マルケス
’28年生まれ、’17年没。日常と幻想を融合させるマジックリアリズムの旗手として世界中の作家に影響を与えた。代表作は『百年の孤独』『コレラの時代の愛』など
※6 『異郷の友人』
新潮社刊。芥川賞候補作。あらゆる記憶とあらゆる意識にアクセスできる、全知の存在であるはずの〈僕〉の精神が、情報量のあまりの多さに混乱を来していくさまをコミカルに描く