“元アイドル”の肩書きは武器であり呪縛でもある
――ライターとしての素地はそのときから作られていたんですね。’12年3月にSDN48が一斉卒業(グループ解散)すると、3年近くのブランクを経て、25歳で会社員となりライターとして働き始めます。その空白期間は何をされていたんですか?
大木:卒業後は、地下アイドルとして活動していました。SDN48のときは、西武ドームで何万人もの歓声を浴びながら歌って踊っていましたが、吉祥寺のクラブハウスでは、ファンが3人なんてときもあって。
芸能の道しか知らないから同じ業界に活路を見出してみたけど、ただライブを消化していただけで、ビジョンやゴールをまったく設定していなかったんです。ファンの方も応援に駆けつけてくれて活動は楽しかったのですが、いつかは次のステージにいかなければならないと焦る気持ちは消えず。
「見守ってくれるファンの存在のおかげで、道を踏み外さず、セカンドキャリアに進めた」とも
――サラリーマンの転職でも、自分のいる業界では当たり前のスキルが、他業界では重宝されるということはしばしばあります。そこに気づけず、同じ業界に転職して苦悩する中年男性は多いのですが、それに近いですね。
大木:わかります。特に、10代から20代前半の若いうちにピークがくるアイドル業界では、否応なしに早い段階でセカンドキャリアの決断を迫られるんです。その後の道筋なんて誰も教えてくれません。
でも、失敗は怖い。そうなると少しでも経験値や知識のある同じ業界に、と思ってしまうんです。結局、私がそうだったんですが、自分がどうなりたいか、わかっていなかったんですよね。
――耳が痛いです。その後、結局どうして地下アイドル活動をやめたのですか?
大木:芸能活動だけでは食べていけなくて。生活費を稼ぐために、ビジネスホテルやトイレの清掃員のバイトをしたり、空いた時間で、業界の人たちが集まる飲み会やお食事会に参加するという生活をずっと続けていました。
でも、どんなに“元アイドル”という女性性を売りにしても、彼らの階層やステータスが手に入るわけじゃない。虚しくなるだけでなんの実りにもならなかったんですよね。それで、彼らと同じレベルまでステップアップしようと覚悟を決めて、ライターの道に進むことにしたんです。
――会社員になりライターとして働き始めたのが25歳のとき。“元アイドル”という肩書は、同業から見ると正直、武器になるので羨ましいとも思ってしまいます。実際、背負ってみてどうでしたか?
大木:もちろん、元アイドルという肩書のおかげで原稿のオファーをいただいたり、広告案件をいただいたりしたこともあります。今回の本だって、私が元アイドルだったから執筆できた部分も大きいのは事実だと思います。
でも、やっぱり周囲から色眼鏡をかけて見られているのではないかと、勝手に自分自身で邪推してしまうときもありました。そんなときは、いつまでアイドルの亡霊にとり憑かれないといけないんだろうって。私にとってそれは重荷で、まるで“十字架”を背負っている感覚でした。
――執筆したのはSDN48の大木さんではなく、ライターの大木さんですもんね。常に「ああ、“元SDN”の、ね」が付きまとうと、なんだか著書が浮かばれない気もします。
大木:その悶々とした気持ちがぎっしり詰まっていますね(笑)。
――成仏はできましたか?
大木:成仏しつつあるって感じです。「元アイドル」という言葉と上手く調和し、ライターとして“第二の人生”を歩む準備と覚悟は、もうできていますから。
まず私の文章が先行して世間に認められて、次に私の名前を知ってもらう。そして最後に、「SDN48だったアイドルが作家・コラムニストになってたんだ~」と気づいてもらう。この順番で認知されるようになったら勝利だと思います。