更新日:2023年03月28日 10:46
スポーツ

平成ボートレースの名勝負は「まくり差し」とともに……

提供:日本レジャーチャンネル

第3位 【水面と進入と】

平成11年(’99年)10月11日 ボートレース戸田 SG第47回全日本選手権競走競走(現・ボートレースダービー)12R優勝戦 1 江口晃生 34 群馬 A1 2 今垣光太 30 石川 A1 3 濱野谷憲 25 東京 A1 4 山室展弘 38 岡山 A1 5 岡本慎治 36 山口 A1 6 倉谷和信 35 大阪 A1 (級別・年齢は当時)  関東の競走水面はそれぞれクセが強く、ここ戸田も例外ではない。  当時の戸田は競走水面の狭さに加え、出走ピットの位置と枠順、待機行動水面までの距離の短さと待機行動時間の長さ、これらの要素が重なり、進入コースを含めた展開予想が立てにくい場であった。  あげくの果てに進入がごちゃつくせいもあり、いまのボートレースのスタートのようにきれいに折り合った形でスタートを切ることも少くない。そういった特性もあり、この戸田水面もまたまくりやまくり差しが決まりやすい水面でもある。  レースは5枠岡本が内にこだわり1枠江口とコースを競る、それを見越して進入が深くなるのを嫌った3枠濱野谷は6コースに回り、150m起しの位置ではあるが山室にカドが転がりこんで、15/462/3。  スタートはほぼ同体か内側が少々ヘコみ気味、そしてコース取りの影響で山室の隣の倉谷とはかなり間が開いている、同様にスローの江口も岡本も進入が深くなり助走距離が足りないせいかスリット後の伸びが甘い。  そうなると山室のまくり差しの出番。最初からこの展開を見て狙っていたとしか思えない躊躇のなさで岡本をまくり、そのまま江口を差しきるという、まくり差しのお手本のような1周1Mでの走りを見せて優勝、SG出場20回目にして初優勝であった。

山室展弘が半スロー3コースからお手本のような捲り差し! 提供:日本レジャーチャンネル

 もちろん、まくられた岡本も差された江口もそのまま終わるわけもなく、追撃を試み諦めないレースで決して山室の勝利を楽なものにはさせなかった。  山室を追撃しつつ2着争いを繰り返す江口と岡本。山室がほぼ1着を確定させてもまだ2着争いには決着がついていなかった。4-1か4-5か、それぞれの舟券を握り締めた客たちの声援と絶叫が最後まで場内に響いていた。  このレース、山室のまくり差しの勝利は当然として、2着争いもまた名勝負と呼べる大熱戦だったことは間違いない。 「夢とか希望とかは与えることはできないと思います。しかし、少しの、ほんの少しの感動を覚えていただけるような、そういうレースができるよう……」  その後の優勝祝勝会でのスピーチの一部だが、山室展弘の走りと勝利は「ほんの少しの感動」などではないと思っている。
(本文中敬称略)
シナリオライター、演出家。親子二代のボートレース江戸川好きが高じて、一時期ボートレース関係のライターなどもしていた。現在絶賛開店休業中のボートレースサイトの扱いを思案中
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