更新日:2023年05月23日 17:43
仕事

映画「カツベン!」で再注目、令和に生きる現役“活動弁士”に密着

最盛期には7600人、今は10人余まで減少

浅草公園六区活動写真ノ賑ヒ

浅草公園六区活動写真ノ賑ヒ(1915年4月)片岡一郎さん提供

 「カツベン!」で時代考証や演技指導に携わった片岡さんによると、弁士が誕生したのは明治時代末頃。大正時代には、警察による検閲の一環で免許制度が導入された。試験をパスしなければ、営業ができないほど厳しい締め付けだった。  サイレント映画を支える大きな役割を果たし、昭和2~3年の最盛期には約7600人が活動。映像と音声が同期したトーキー映画が普及し始めると、次第にその影響力は低下。片岡さんや山内さんのように弁士を名乗り活動する数は、今では10人余りとなっている。  後継者不足は喫緊の課題だ。ただ、アマチュア弁士を迎え入れる受け皿がなく、120年続く伝統をどう後世に引き継ぐか模索が続いていた。そんな状況に明るい兆しを示したのが、周防監督作の「カツベン!」だった。活動弁士の存在がぐっと身近になり、認知度は日増しに高まりつつある。

これからの活動弁士=YouTuber?

 片岡さんは、観客が声を上げて楽しむ「応援上映」と活動弁士に親和性を感じている。観客と一体となって会場を盛り上げる双方向型メディアは幅広いニーズがある。それを巧みに利用する「YouTuber」と黎明期の弁士の姿を重ね合わせ「映画とライブの共存の先に、これからの弁士の姿があると思う」と業界の将来を見据えた。
A4用紙

台詞をまとめたA4用紙は20枚近くに上る

 初挑戦した「雄呂血」。70分余りの上映時間で台詞をまとめたA4用紙は、20枚近くに上った。「たっぷり(時間をかけて読む)」など細かく注意点を書いた。それでも台詞の言い間違いや声色の調整にミスが相次ぎ、山内さんは「反省点は挙げていったら、キリがない」と少しへこんでいた。  アルバイトの傍ら一人前の弁士目指し、日々の稽古に心血を注ぐ。大学卒業間もなく飛び込んだ世界だったが、今では両親や祖母らも公演を観に来てくれるなど期待も背負う。当面の目標は、兄弟子たちのように「弁士一本で食べて行きたい」。若手弁士が放った力強い言葉を聞き、また公演に足を運びたくなった。<取材・文・撮影/カイロ連>
新聞記者兼ライター。スター・ウォーズのキャラクターと、冬の必需品「ホッカイロ」をこよなく愛すことから命名。「今」話題になっていることを自分なりに深掘りします。裁判、LGBTや在日コリアンといったマイノリティ、貧困問題などに関心あります。Twitter:@hokkairo_ren
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