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スナックが競馬ファンの鉄火場と化した日。博打に酔うのか酒に酔うのか…

俺たちのダービーはこれからだ

 通常、メインレースが終わった後には12レースという最終レースが残っている。マッチの切り換えは早かった。廃人は外れたレースは引きずらない。 「くそっ! 俺のメインレースは今から始まるんだよ!」  即座に新聞の頁を捲り予想を始める。肩を落としていた周りの人々もつられて「よし」、「俺も」、「残り予算全部ぶち込んでやる」と口々に呟く。まったく愉快な人々だ。マスターを含めたその場の全員が無言で競馬新聞やスマホと睨めっこをしている。完全にカラオケスナックの光景ではなくなって笑えてくる。  誰一人として当たることなく12レースを終え、東京競馬場の全レースが終了した。方々でカランカランとグラスの中の氷が鳴り、皆溜め息をつきながら酒を飲み干した。ひと仕事終えた表情だ。  ふと、カウンターの端に座っていた一人がぽつりと言った。 「今日は地方レースはまだやってるんだよな。テレビで見れないけど」  マッチの目が再び輝いた。 「馬鹿! それを早く言えよ! どこだ!」 「九州ダービー……」 「九州ダービー!!!!」  やるしかねぇな、と己を奮い立たせるようにマッチは独りごちた。 「俺たちのダービーはこれからだ!!」  スマホを灰皿の中に立て、佐賀競馬場のネット中継を流し始める。耳慣れない、牧歌的な音楽が聞こえてくる。それに重なるように、女性の声で馬券の購入を急ぐよう促すアナウンスが流れている。  新聞の九州ダービーの欄を見ると、ミスカゴシマという当然馴染みのない馬に圧倒的に人気の印が集中していた。直近の過去3レースで全て1着という結果を残しているようだった。 「こういうのがそろそろコケるんだよ!」  マッチのギャンブラーの血が騒いだ。 「こいつを2着で総流しにする!」  気合を入れて投票し、いざレースが始まった。始まったのだが問題があった。 「クソっ! 画面が小さくて! どれがどの馬だかわからねぇ!!」 「どこだ! どこ走ってんだミスカゴシマ!!」  結果、ミスカゴシマは3着だった。 「バカヤロ――――――ッッッ!!!!!!」  椅子からのけ反って、マッチは競馬新聞を放り投げた。そしてヤケクソのように焼酎を一気に飲み干すと、放り投げた新聞を拾って静かに畳み直し、憑き物が落ちたような晴れやかな声で言った。 「お会計」  なんともスッキリとした表情である。一つも当たらなかったというのに。  気持ちはもう翌週の競馬へ向かっているのだろう。  一人コントのような一連の流れを眺めていたわたしは、思わず吹き出した。  競馬をしにスナックへやってきて、競馬が終わったら帰る男。  この記事が公開される週末には、上半期競馬の総決算、宝塚記念が控えている。  競馬廃人のマッチが今度はどんな興奮と熱狂と半狂乱を見せつけてくるのか、実はこっそり楽しみにしていることは、本人には秘密だ。<イラスト/粒アンコ>
(おおたにゆきな)福島県出身。第三回『幽』怪談実話コンテストにて優秀賞入選。実話怪談を中心にライターとして活動。お酒と夜の街を愛するスナック勤務。時々怖い話を語ったりもする。ツイッターアカウントは @yukina_otani
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