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麻雀は知的ギャンブルだから「怠惰な奴は勝てない」という悲しい現実

我々が歴史から学べるのは、誰も歴史から学んでいないという事実だけだ

 怠惰な僕はその後の人生で何度も博打に焼かれ、かなりの頻度でビスマルクを引用した皮肉を言われ続けてきたため、何を為したか知らないがこの男が嫌いだった。知った風なことを言いやがって。何事も経験だろう。  しかし、こと麻雀に関しては全くもってその通りで(もしかすると他のことに関してもそうかもしれないが)、勉強をして歴史の知恵を借りるべきだった。  自分の弱さに気づかないように収支を記録していなかったが、どうにも働けど働けど金が足りない。どうやら僕は麻雀ではかなり負けが込んでいるらしい。金がない生活が教えてくれた。  麻雀はとても緻密だ。手を進めるために牌効率というくだらないものを考え、たまの勝ちと小さな負けを積み重ねて実力を明らかにしていくゲームだった。ここでもパチスロの「収束」の概念が現れる。一回一回は運に見えても、その点を繋いで見えてくる線こそが当人の実力で、運だけでずっと勝ち続けることは到底不可能だ。勉強すればするほど、考えれば考えるほど強いゲームなんてまっぴら御免だ。頑張った人間が正しく報われていく世界なんて、受験までで十分だろう。  麻雀の真実に気づいてしまった僕はいつしか麻雀を誘われても乗り気でなくなったし、麻雀の嫌な部分がよく目につくようになった。  まず、麻雀は負けの金額をコントロールできない。例えば、パチンコの負けは自分が投入した金額そのものだ。1万円を入れて当たらなければ1万円負けるし、財布に3万円しかなければ最大3万円の負けで済む。しかし麻雀は誰かの勝ちを他の人が負担するため、いくら負けるかをコントロールすることができない。運が悪ければ財布の中身を超えた金額を失い、さらにその場で足りない分を誰かに借りることになる。スーパーラッキーボーイがめちゃくちゃにすごい役を作りまくれば、たとえ黒川レートと言えど5万近く負けることなんて造作もなく、本当の「予期せぬ出費」に視界の外から殴りつけられることほど腹立たしいものはない。  負けて悔しい顔をしている僕に対して、あろうことか勝った人間は、 「おい、ちゃんと払えるか?」  とニヤニヤしながら言ってくる。その刹那、鋭い殺意が芽生える。 「ロン。ほにゃららほにゃらら。倍満、16,000点。」  こんなふざけたことを言われ、その瞬間に同意もしていない金額を払うことが確定した時、憤りのあまり頭の血管が数本千切れ、気が遠くなる。ギャンブル漫画などでよく「ぐにゃあ…」と視界が歪むことがあるが、完璧な表現だと思う。  点数だけ言うんじゃない。ちゃんと、 「16,000点ください。」  と言え。
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知的ギャンブルと短気の愛称は悪い
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