恋愛・結婚

おっさん酒場に集う“おひとりさま”女子の打算と千年帝国の野望

「おじさんが好き」は嘘ではないけれど

 酒場に通い詰める飲んだくれ女の言う「わたし、おじさん好きなんですぅ~」はあながち全くの嘘ではなく、かといって真実でもなく、口に出すと都合の悪い事実を省略しまくって生み出された言葉であり、本当は「(ケチで貧乏くさいくせに酒場の全てをわかったような顔で無駄に騒ぎ散らすガキよりは)わたし、(ちやほやしてくれて隣に座ったらついでに奢ってくれるけど身体とかなるべく要求してこない気前の良い)おじさん好きなんですぅ~」が正解なのである。  四半世紀以上生きた彼女たちは知っている。そんな酒場のおじさんたちが、弾ける若さの若者よりもよっぽど御しやすいことを。そしてある時急に軌道修正をしてみせ、ファンのおじさんたちを悲嘆に暮れさせる。 「おじさん好きなんですぅ~」と言いながら、18歳年下の男と同棲した女を今年見た。10歳年下の男と結婚した女を去年見た。たいして酒も飲まない小綺麗なタメのサラリーマンと結婚した女を一昨年見た。  ちょっと前まで酔っぱらってオジサンの禿げ頭を抱きしめていた腕には、今ではチャラついたYoutuberの黒々とした頭や生まれたての無垢で柔らかな赤子が抱かれている。彼女たちにとっておじさんは、安定した幸福という向こう岸に渡るための筏でしかないのだった。  わたしには、夜の仕事に一切携わっていなかった期間が成人してから二年くらいある。スナックや大衆酒場での遊びを覚えたのもその期間だ。二十代の半ばに差し掛かった頃のことだ。  昼間の会社で、「もういい歳だね」、「昔だったらそろそろお局だね」なんて言葉を掛けられ始めた時分に、五十代、六十代がメイン客層の酒場はぶっちゃけかなり居心地が良かった。誰もわたしを「ババア」とか言わない。何を喋っても、どんなに酔って醜態を晒してもそれほど咎められはしない。むしろ「まだ若いね」なんていう言葉まで飛んでくる。  ショットバーで一人静かに飲むのにもそろそろ退屈してきたところだし、こういう楽しい酒場のほうが良いかもと思いかけて、同時に危険だとも思った。この居心地、向こう十年くらいは「若い女」と呼ばれることに甘んじていられるであろう居心地の良さは、長く浸かってはいけない気がした。  わたしの中にある男に拠りかかることを嫌う女の部分が危険信号を発していた。極めて無駄な自恃であるようにも思う。彼女たちのようにしたたかに、軽やかに男たちの間を渡ってゆくことも、賢い生き方の一つであるというのに。そうこしている間に、酒癖の悪さゆえにカウンターに閉じ込められ、わたしは再び年齢や容姿をゆる~く値踏みされる店員の世界へと戻ることとなった。

長期的な搾取に味をしめる悪魔

 キャバ嬢もガールズバーやスナックのキャストも風俗嬢も世に溢れかえっているパパ活女子大生も、カネの対価として時間や身体を提供するが、それが商売としての性質を帯びている以上一定量の苦痛が確実に生じているが、酒場の客である女たちは苦痛を味わう必要などない。  かすかな望みを抱く阿呆な男たちに持ち上げられる気分の良さを味わうだけ味わって、小銭程度の飲み代を支払わせる。莫大な金額は得られないが日々の小さな出費を負担させるという長期的な搾取に味をしめている悪魔のような生き物だ。ちなみに身体を求められた時の魔法の言葉もきちんと用意されている。「そういう人だと思わなかった」、「そういうつもりじゃなかった」。  昔出会った反社の男は言っていた。相手を下に付けたかったら、デカい金額を一度奢るよりも、小さい金額を度々奢ることだ、と。どんなに小さな金額でも「奢られた」という事実がある限り、相手は次に会った時に「この間はありがとうございました」と頭を下げざるを得ない。それを繰り返す。会うたびに相手が頭を下げる状況をつくる。  そうしていると、自然と相手は自分の顔を見るだけで頭を下げるようになり、言う事を聞くようになる、と。背中に虎を飼っていた男はそう言ったが、酒場の彼女たちには適用されないようだ。  実に小器用に周到に男たちの間をすり抜けて、時にタクシー代を貰い、時に小遣いをせびり、それでいて酒場の客席という舞台のアイドルかのように奉られる心地良さに浸りながら、信奉する男たちを小馬鹿にしながら、女たちは悠々と羽を伸ばして生きている。こびりつくような自己顕示欲と承認欲求を夜ごと少しずつ満たしながら。
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わたしの身を振り返れば…
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