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劇作家・鴻上尚史が「日本人には『芝居』が足りない」というワケ

―[月刊日本]―

人生は演劇そのもの

―― 新型コロナウイルスの感染拡大によって多くの業界が自粛を強いられる中、演劇界が政府に対して休業補償を求めたところ、「不要不急の演劇が補償を求めるなどけしからん」といった厳しい批判にさらされました。これは日本社会にとって演劇が縁遠い存在と見られているからだと思います。しかし、実は演劇は私たちにとって非常に身近なものです。鴻上さんは新著『演劇入門 生きることは演じること』(集英社新書)で、私たちは意識的であれ無意識的であれ、日常生活において常に何らかの役を演じていると述べています。
「演劇入門」書影

「演劇入門」というタイトルだが、生きていく上でのヒントに溢れた内容

鴻上尚史氏(以下、鴻上) 演劇は劇場にだけあるものではありません。世界的に有名な演出家であるピーター・ブルックは、演劇について「ただ一人の人間がいて何かをして、そしてもう一人の人間がそれを見つめるだけで成立する」というような定義をしています。あなたがいて、目の前にもう一人の人間がいれば、そこに演劇は生まれるのです。  この定義に基づけば、私たちの人生は演劇そのものです。たとえば、山田一郎という新入社員がいるとします。山田一郎が入社の挨拶を職場でしているとき、彼は「新入社員」という役割を演じています。それを聞いている会社の人たちも、山田が「新入社員」という役割を演じていることを知っています。お互いに、いま新入社員として振る舞っているという意識を共有しているのです。  新入社員という役割は、演劇の役とは違って虚構ではないと思うかもしれません。しかし、山田一郎にとって新入社員はあくまで一つの属性にすぎません。山田は入社初日を新入社員としてガチガチに緊張しながら演じ切ったあと、夜は友達との飲み会に参加し、その日一日を振り返りながら盛り上がるでしょう。その際は会社で働いていたときとは違う言葉遣いや振る舞いになるはずです。私たちはその場その場で必要な自分、求められている自分、生き延びやすい自分、効果的な自分を選んで演じています。それによって人格も変化します。そこから考えれば、新入社員としての山田一郎を「虚構」と言っても完全に間違っているとは言えないでしょう。  とはいえ、虚構とは嘘をついているということではありません。山田一郎は新入社員として真剣に振る舞っています。俳優が「走れメロス」のメロス役を演じているとき、真剣なのと同じです。山田は新入社員という役を演じながら、本気で「この会社でうまくやりたい」「出世したい」と思っているわけです。  演劇は2500年以上前のギリシア演劇から今日まで絶えることなく続いてきました。2500年前と言えば、日本はまだ縄文時代の終わりか弥生時代の始まりのころです。これほど演劇が続いているのは、人間が「演劇的な構造」に生きているからです。デジタル時代になってもアナログの典型のような演劇が生き延びている理由は、ここにあると思います。

幸せに生きるためのスキル

―― 鴻上さんは演劇はスピーチ力を磨く上でも役に立つと指摘しています。外国では歴史に残る名演説と言われるものが多数ありますが、日本で名演説をあげろと言われても、すぐには思い浮かびません。これは日本社会が演劇を遠ざけてきたことと無縁ではないと思います。 鴻上 私たちは誰もが偉い人たちのスピーチを小学校の入学式や卒業式以来、散々聞かされてきた経験がありますが、感動して記憶に残った話など一つもないでしょう。式次第に目を落としながら、「早く終わってくれないかな」と時間が過ぎるのを待つというのが、よく見られる態度だと思います。  なぜ偉い人のスピーチがつまらないかと言うと、日本人が「世間」に生きており、「社会」に生きていないからです。「世間」とは、現在または将来、あなたと関係がある人たちのことです。簡単に言えば、職場とか学校とか隣近所で出会う人々のことです。他方、「社会」とは、現在または将来、あなたと何の関わりも持たない人たちです。たまたま同じ電車に乗った人や、道を歩いている人などがそうです。 「世間」の中で生きているときは、スピーチ力を磨く必要がありません。「世間」に属する人たちの間では「お出かけですか」「ちょっとそこまで」といった世間話が交わされますが、このやり取りには内容も情報も全くありません。ここで行われているのは「私たちは同じ世間のメンバーです」という確認にすぎません。「世間」において重要なのは、その人が自分たちと関係があるかどうかという点だけであり、それゆえスピーチ力は必要とされないのです。  私たちはこうした環境の中で育ってきたため、自分とは関係のない人たち、つまり「社会」の人たちと会話することが苦手です。たとえば、日本人はエレベーターの中で知らない人と一緒になると、黙っていますよね。しかし、欧米やアジアの国の多くでは、相手が知らない人でも会釈をしたり、軽く会話をしたりします。エレベーターのような狭い空間で「社会」に属する人たちと一緒になったとき、何も会話しないことは不自然と感じるからです。  あるいは、日本人はたいてい、駅でベビーカーを抱えて階段を登っている女性がいても、手伝ったりしませんよね。私の知り合いの外国人は、「東日本大震災のときに、暴動も起こらず、協力して壊れた道路をあっと言う間に直した日本人が、どうしてベビーカーの女性を手伝わないの? 日本人は優しいの? 冷たいの? わからない」と戸惑っていました。しかし、日本人にとっては不思議でもなんでもありません。ベビーカーを抱える女性を手伝わないのは、その女性が「社会」に属する知らない人だからです。その人が「世間」に属する知り合いだったら、すぐに手伝ったはずです。  「世間」が強固に存在した時代なら、「社会」の人たちと会話する力は必要なかったと思います。しかし、今日では価値観が多様化し、「世間」は壊れ始めています。そのため、私たちは自分と関係のない「社会」に向けた言葉に対して、もっと敏感になる必要があります。  その際、演劇のテクニックや考え方、感性は間違いなく役に立ちます。演劇の手法を身につければ、多様化が進む時代の中で、より快適な生活を送り、幸せを手にすることができるはずです。コロナ禍で演劇は攻撃の対象にされてしまいましたが、演劇には幸せに生きるためのスキルがたくさん詰まっているのです。本書を読んで、一人でも多くの人にそのことを知ってもらえればと思います。 (聞き手・構成 中村友哉 記事初出/月刊日本2021年7月号より>) 鴻上尚史(こうかみ・しょうじ) 1958年愛媛県生まれ。早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」を結成し、「朝日のような夕日をつれて’87」で紀伊國屋演劇賞団体賞、「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞、「グローブ・ジャングル」で読売文学賞を受賞。著書に『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)、『何とかならない時代の幸福論』(ブレイディみかことの共著、朝日新聞出版)など多数。
―[月刊日本]―
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。


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