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傷つきに暴力で応えたアカデミー賞前代未聞の事件

アカデミー賞で主演男優賞を受賞したウィル・スミス。コメディアンである司会者のクリス・ロックが、脱毛症の妻を揶揄するような言葉を投げかけたことに激高し、彼を平手打ちした。
オスカー像

写真はイメージです

fragile Japon

過去のオスカーの授賞式トラブルというと最初に思い出すのは『ムーンライト』が作品賞を受賞した2017年。プレゼンターとして封筒を開けたウォーレン・ベイティが一瞬固まり、横にいたフェイ・ダナウェイが『ララ・ランド』の名前を読み上げてしまった。 渡された封筒が間違っていたようだが、一度は壇上で大歓喜していた『ララ・ランド』のプロデューサーは、受賞作品の間違いに気づくと自ら『ムーンライト』の受賞をマイクで伝え、文句ひとつ言わずにライバル作品の栄誉を讃えた。 ネットフリックス映画初の受賞になるのではと言われていた『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が作品賞を逃したことも、『ドライブ・マイ・カー』の健闘も、実際に聴覚障害を持つ俳優が見事な演技で助演男優賞を受賞したことも押しのけて、今年の米アカデミー賞の話題は主演男優賞を受賞したウィル・スミスが、妻を揶揄ったコメディアンの司会者クリス・ロックを平手打ちしたことに集中した。 日本のネット空間でこれほど授賞式そのものが話題になったことは前述の事件も含め、ほとんどない。 そして時間がたつにつれ、肯定的な日本と批判的な米国という視聴者の反応差が話題となり、女性を男性が守るジェンダー・ステレオタイプがいまだに健在の日本を自虐的に分析する声も上がる。 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』や『ドリームプラン』のテーマでもあり、また米国でスミス批判に使われた言葉でもある「toxic masculinity(有毒な男性性)」への嫌悪感が、ヤクザ映画とヤンキー漫画大好きな日本で低めなのは間違いないが、他にもウィル・スミスが擁護されがちな理由は数多ある。 日本ではハリウッド映画ファンの量に比べてスタンドアップ・コメディのファンはそう多くはないので、両者の知名度の差が英語圏とは比べ物にならない。 舞台上で誰かが誰かを平手打ちする構図は、芸人の漫才を見て育っているとあまりに見慣れた光景でもある。 世界的に見れば比較的小柄な人が多く、暴力事件の数も欧米と比べるとかなり少ないこの国で、暴力そのものへの具体的な恐怖心が低いのも否定できない。 「#oscarsowhite」運動のきっかけをつくったウィル・スミスが黒人は野蛮だと訴える差別主義者に塩を送ってしまった皮肉も、ソーイエローな国では理解しにくい。 何よりクリス・ロックへの不快感が強いのは、議論の文化がなく、批判に対して脆弱な上に反論するには口下手で、言葉で自尊心を傷つけられることへの怯えが蔓延する日本の状況をよく表す気がする。 私の世代などは、日本人は自己主張が下手だと言われて育ったが、SNSでのトキシックな自己主張を見る限り、下手なのは自己主張より人の自己主張を聞くことのような気がする。 病や障害が揶揄われるのは怒りの共感を呼びやすいが、人が何で傷つくかは人による。NATOが勢力拡大をし続けることに“傷ついて”暴力で応える人もいるし、従軍慰安婦像に“傷ついて”暴力を示唆する脅迫をした人もいる。 傷つきに暴力で応えることを肯定してしまっては、彼らの不可解な暴走に言い訳を与えてしまうので、言葉の不快や傷つきへの免疫は高めるべきだと思うのだ。 ちなみに独身の私は今年の受賞作が、夫婦や家族ものばかりな状況に傷ついたが、ウィル・スミスより良識的なので、誰にも平手打ちはしていない。 ※週刊SPA!4月5日発売号より
’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中

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