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国対担当交代のすゝめ<著述家・菅野完氏>

〝当たり前のこと〟ができていなかった立民国対

 ……と、ここまで紙幅の半分以上を費やし、臨時国会における立憲・維新/立憲・共産の〝共闘〟とそれに対する反応について書いてきたが、我ながら呆れ返っている。なんでこんな〝当たり前のこと〟をわざわざ文字化する必要があるのかと。いやもっと言えば、「国会対応で、立憲と維新が共闘する」という〝当たり前のこと〟がニュースとなり新聞紙面でそれなりの面積を占める報道となるのかが不思議でしかたないのだ。 「犬が子供を噛んでもニュースにならないが、子供が犬を噛めばニュースになる」という格言がある。報道価値とは〝珍しさ〟〝異常さ〟にあるということを言い表す格言だが、この格言に従えば「国会対応で野党第一党と野党第二党が共闘する」ことは「犬が子供を噛む」ことに相当する、ごくありふれた日常の風景にすぎない。また、日本の国会のように、野党が多数存在する議会においては、野党第一党が中心になり、立場の違う複数の野党と個別あるいは合同で合意文書をとりつけ国会対応に当たるのは、議会での与野党緊張を生み・維持するために当たり前の行為にすぎない。起床後に顔を洗い歯を磨くことが賞賛にも批判にも値しないのと同様、野党第一党が議会内のその他野党と国会運営について協議し合意するのは、当然のことであり、当然であればこそ、批判にも賞賛にも値しないのだ。  しかしその当たり前のことが、今の日本の国会ではニュースになってしまう。当たり前のことをしおおせたにすぎないのに、大きく報道され、賞賛されたり批判されたりするのだ。  これはとりも直さずこれまでの野党間の国会折衝が「当たり前のことさえできない」ことが常態化していたということだろう。だとすれば、これまで立憲民主党の国対を担ってきた人々は痛烈な反省が必要なはずである。その原因が無能さや経験不足やセンスの悪さのいずれに起因するかは別として、結果として「野党第一党が議会内のその他野党と、議会運営について合意していく」という当たり前の行為がなされてこなかったのだ。原因がなんであれ怠慢としか言いようがない。  いずれにせよ、立憲民主党の執行部が刷新され、国対委員長は交代し、交代早々、これまで振り返ってきたように、野党第一党を中心として、個別に各野党との国会対応合意が生まれ、あるいは円安・物価高、あるいは旧統一教会の問題、あるいは安全保障の問題で、野党各党は団結して、政府与党と厳しく対立していくという、国会の〝あるべき姿〟が恢復することとなった。先の通常国会が野党第一党の国対の職務放棄により実質的に空転してしまったことは、通常国会後の参議院選挙結果をみても悔やまれてならないが、兎にも角にも、野党第一党の国対委員長が交代したことにより、野党側は国会運営としての正常な姿を取り戻したのだ。  さあ、いよいよ国会だ! といきたいところだが、どうもそれは叶わないらしい。  国会の使命が予算審議にこそある以上、所信表明・代表質問の直後に予算委員会が開かれるのが当然のことなのだが、なんとこの臨時国会では、代表質問終了後、1週間以上も予算委員会が開かれないのだ。理由は「財務大臣が外遊するため」なのだという。こんなもの理由にならない。閣僚の外遊日程は遥か前に確定しているもの。財務大臣の外遊日程があるならば1週間前倒しで国会を開けばよいだけのことである。  日程だけではない。この臨時国会では、通常事前に行われる重要法案の趣旨説明等の与野党折衝が一切行われていない。与党側から野党側に対する会期幅の伝達も、国会開催の直前のことだったという。前代未聞の事態だ。  野党側が国対折衝の場で与党の国対担当者にこの点を糺しても、与党側は「官邸側からの明確な指示がない」ことを理由に言を左右にするばかりだという。だとすれば、もはや自民党の高木毅国対委員長のみならず、官邸側にも国会対応能力がないと言わざるを得ないではないか。  国会運営をする能力のない人物が国対の任にあたれば国会が空転してしまうことは、野党第一党の前任者が立証してくれている。国対担当者を変えれば事態が一気に好転することも、野党第一党が立証してくれたではないか。  悪いことは言わない。与党もそろそろ、国会運営をする能力のない総裁と国対委員長を変えることを検討してはどうか。 <文/菅野完> 初出:月刊日本11月号
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月刊日本2022年11月号

特集①レームダック化する岸田政権
特集②五輪汚職と外苑再開発 利権政治と決別せよ

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