更新日:2024年03月15日 16:13
ライフ

47歳の元パチプロに「その後の人生」を聞いてみた。“15年間無職”という現実に気付くまで

思い出の一台はアレジンじゃなかった

 では、最後に中山さんに思い出の一台について語ってもらった。その一台はアレジンではなく、意外な台だった。 「西陣の春夏秋冬って台。この台に何度も助けられたな」
パチンコ

1993年に発売された「春夏秋冬」。登場してすぐに135連チャンを記録し、週刊誌の記事にもなった今はなき西陣から発売された連チャン機

 春夏秋冬はモード式で地獄モードに落ちると大当り確率が1/420になるのだが、ハズレリーチ40回で天国モードに移行する。中山さんはこの特性を生かし、春夏秋冬の島を頻繁にチェックしてハマッてる台をチェック。当時はデータカウンターなどない時代のため、どの台がどの程度ハマッている台かはわからないのだが、灰皿にたまったタバコの吸い殻の量でハマリ台を見抜いていたという。 「春夏秋冬って、朝イチはモーニング狙いで争奪戦だけど、昼過ぎから夕方までは地獄モードもあってみんな敬遠してた。そんでもって当時のパチンコ屋って1時間とか2時間に1回しか灰皿清掃をしないの。だから、タバコの吸い殻の量でどのくらい座ってたかを見極めてたんだ。ちょいちょい春夏秋冬の島をチェックしながら、打ってるヤツがいたらどのくらい打ち込んでいるのか、放置されている台はたまった吸い殻の量でどのくらい打ち込んだかを推測して、地獄モード中の台に狙いをつけて打ってた」  まさに生き馬の目を抜く立ち回りで、中山さんはパチンコで食っていく自信が付いたという。

10年以上ぶりのパチンコで浦島太郎状態に

 パチンコにハマり、浮き草稼業を続けた中山さんだが、今はもうパチンコを打たないのだろうか。 「地元に戻るって決めたときにキッパリとヤメるって心に決めたの。ヤメないんだったら、戻ってくる意味がないと思ったんだよ。でも、その禁を破って2年前に打ってホント、無理だと思った。演出が多すぎて落ち着かないんだよ。YouTubeとか見て下調べして打ったけど、浦島太郎状態だったね。あと、箱が詐欺だよ、あんなもん。昔の中箱くらいの大きさでさらに底上げしちゃってて、あれは出てないのを出てるように見せる詐欺だよ」  そんな中山さんに今後の目標を聞いた。 「税理士や司法書士の先生と提携して、遺品や空き家整理の事業をもっと広げていきましょうって話している。社長やってる幼馴染みとも話しているんだけど、岐阜県とか三重県にも支店を作れたらなって」  30年近くかけて落ち着いた生活を手に入れた中山さん。事業拡大の夢を叶えるため、今日も奔走している。 取材・文/谷本ススム
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター
1
2
3
おすすめ記事