突然大量の喀血!“世界最大の感染症”結核に感染した…【結核闘病記】
―[結核闘病記]―
現在も世界人口の3人に1人が感染、年間約380万人が発病しているという“世界最大の感染症”、結核。日本でも年間約2万人が新規患者となり、約2000人が死亡している。治療法が確立し、かつてのような“不治の病”ではなくなったものの、決して過去の病気とは言えないのだ。そんな結核にSPA!編集部員・北村土龍も感染⇒発病。ある日突然大量に喀血して、「隔離病棟」へ入院したのだった――。これはその闘病の日々の記録である。
◆耳鼻咽喉科で「喉の炎症」と診断
ある日の深夜、突然息苦しくなって目が覚めた。口の中がなんだか生暖かい。急いでトイレに駆け込んで、口の中のものを吐いた。
それは大量の血痰だった。「痰」といってもサラサラで鮮血に近い。喉の奥にたまった血が抑えきれずに噴き出してくる。自分の血をこんなに大量に見るのは初めてだ。
「もしかして、死ぬのかも……?」
3か月くらい前から体調がおかしかった。咳が続き、当初は風邪だと思って放置していた。しかし咳は何週間たってもいっこうに止まず、自宅近くの耳鼻咽喉科へ。そこで「喉の炎症」と診断され、咳止めや炎症を抑える薬などを処方されていた。
医師は「喉頭ファイバーでみたところ、炎症のようです。そんなに深刻な症状じゃないので安心してください。薬を飲んでいればそのうち治ります」と言う。
「たまに、痰にうっすら血が混じっていることもあるんですけど」
「咳のしすぎで喉が切れて、血が出ることもあるんですよ」
その後、薬を変えたり市販の薬を飲んだりしていったん咳は止まったものの、しばらくすると再び咳が出始める。それを繰り返していたのだ。食欲があまりなく、体重も半年前から8kgほど減っていた。
「いつ咳が止まるんだろう。本当に喉の炎症なんだろうか」
そう思っていた矢先の大量喀血だった。
不安になって呼吸器内科を受診。肺のレントゲンを撮ると、医師が急に慌て出した。マスクをかけ、看護師に「全員マスクつけて! すぐに窓を全部開けて、できるだけ換気して!」と指示し始めた。その慌てぶりに、何が起きたのかわからず呆然とする。
「右の肺に空洞、左の肺に影があります。結核を発病している疑いがありますが、こちらでは結核かどうかの診断はできないんです」
「結核?」
とっさに高杉晋作や正岡子規を思い浮かべた。ああ喀血して死ぬあの病気か。今もある病気なのか……しかし現実感はまったくない。
「明日にでもすぐ、痰の検査を受けてください」
結核を診断できる病院(感染症指定病院)は都内でも少なく、そのうちの一つだというK病院宛の紹介状を医師に書いてもらった。
◆右の肺に4~5cmの穴が
K病院で痰の検査(喀痰検査)を行ったところ、結果は陽性(咳などで菌を体外に排出している)。その後のDNA検査で、結核菌が含まれていることがわかった。
一般患者と隔離された部屋でマスクをつけて待機していた私のもとに、呼吸器内科のT医師がやってきた。
「結核がかなり進行しているようです。レントゲンを見たところ、右の肺に直径4~5cmほどの穴があいています。その部分の血管がむき出しになったため喀血したのでしょう。でも大丈夫です。北村さんはまだ若いですし、必ず治りますから安心してください。日本では年間約2000人が亡くなっていますが、そのほとんどが高齢者なんです」
少しホッとしたところで、T医師はこう言った。
「というわけで、すぐに入院してください」
「えっ」
すぐにと言われても、やりかけの仕事があるし、突然すぎて準備ができていない。しかも結核の場合、排菌がおさまるまで社会と隔離されて病棟から一歩も出られないのだという。
「何とか通院治療にできないでしょうか」
「ダメです。北村さんの場合は痰や咳に結核菌が含まれているので、誰かに感染させてしまう可能性があります。入院しなければ治療はできません」
「どのくらいで退院できるんですか?」
「人によりますが、日本の病院では一般的に70日前後とされています。症状が軽いケースでは、5~6週間ほどで退院する人もいますが」
思ったよりも長期間だ。よく「結核で強制入院」といわれるが「強制」ではなく、これはあくまで「入院勧告」。しかし、結局のところは入院する以外に選択肢はない。
「軽症のうちに早期発見できていれば、通院治療も可能だったかもしれないのですが……咳が2週間以上続いた時点で結核の可能性を疑い、呼吸器内科を受診するべきでした」とT医師は言う。風邪だと思って内科にかかり、「風邪」と診断されて発見が遅れ、結核を悪化させるケースも多いようだ(※参照:JOYさんのケース https://nikkan-spa.jp/679831)。
S保健所の保健師Kさんによると、K病院の結核病棟は非常に設備が新しく、病床数も多いので広々としていてオススメだという。また、結核病棟医長のT医師は説明がとても丁寧で誠実な印象を受けた。ここは観念して、気をとりなおそう。
「じゃあ、できるだけ早く治して最短で出ます! お世話になります!!」
こうして結核病棟での闘病生活が始まった。
このときは、長い長い闘いが待っているとは思いもしなかったのだった……。
<文/北村土龍>
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