ビンスの選択“WCW買収”はこうして成立した――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第334回(2001年編)
WWEとWCWの“月曜TVウォーズ”は、プロレスのソフトウェアやテレビ番組のコンテンツとはまったく関係のないところで、あまりにも唐突にジ・エンドとなった。
2001年1月11日、タイム・ワーナー社とWCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)が合同記者会見を開きWCWの“身売り”を発表した。タイム・ワーナー社は同日、これとは別の記者会見を開き、同社とAOLの合併を正式にアナウンスした。
WCWを買収したのはフュージェント・メディア・ベンチャーズという新しい投資会社で、記者会見で配布されたプレスリリースにはフージェント社の役員(エリック・ビショフ、ブライアン・ビードル、スティーブン・グリーンバーグの3人)の氏名が記載されていたが、具体的な買収額はなぜか公表されなかった。
それから2週間後、こんどはWCWのもともとの親会社TBS(ターナー・ブロードキャスティング・システムズ)がフュージェント社によるWCW買収案が“白紙撤回”となったことを明らかにした。
フュージェント社の社長となったビショフは、TBS傘下時代からの既存路線を継続して“マンデー・ナイトロ”と“サンダー”の2番組にそれぞれ年間3000万ドル(約33億円=当時)ずつの放映権料をタイム・ワーナーAOL社から引き出し、これを新体制WCWの年間予算に計上するつもりだったというが、この計画には狂いが生じた。
こういった水面下の動きとときを同じくして、タイム・ワーナーAOL系チャンネルを統括する番組編成局長としてジャイミー・ケルナーなる人物がジョージア州アトランタに出向してきた。
ケルナー・プロデューサーのおもな業務は、制作費がかさむ番組の経費削減と視聴率の低い番組の整理。TBSの“プロレス事業部”だったWCWは会計年度2000年だけで6200万ドル(約68億2000万円=当時)の赤字を出していた。
「プロレスは低俗。ステーション・イメージにそぐわない」と公言したケルナー・プロデューサーは、なんのためらいもなく“マンデー・ナイトロ”(TNT=ターナー・ネットワーク・テレビジョン)と“サンダー”(TBS)の放映打ち切りを決めた。
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