更新日:2023年04月20日 12:26
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松戸、市川、船橋。千葉県民に愛された三郷南ICの老舗ラブホは今…/文筆家・古谷経衡

独りラブホ考現学/第15回

NEXCO東日本より。オレンジ色の実線が既存の外環。同色の点線とマル部分は計画、または工事部分。西端が練馬区大泉JCT。東端が三郷南IC。赤色が2018年6月開通の千葉区間となり、これをもって外環東部はすべて完成した

千葉県東部民、悲願の道路

 2018年6月2日!あゝ、まさに千葉県東葛3市(松戸、市川、船橋)160万住民の悲願遂に叶う!  何を隠そう、東京外環自動車道(外環)の千葉区間(三郷南IC~高谷IC)の15.5kmが開通し、一挙に東関道(東関東自動車道)の浦安、市川方面に繋がったのである。この千葉区間の開通により、外環道はその東部部分の全てが完成したのであった。  外環千葉区間開通は、いわば苦節困難の歴史でもあった。土地取得の二転三転や地元の理解の右往左往…。これらの不確定要素により計画から実に50年を要した半世紀越しのプロジェクトであった。  ここで、首都圏在住者以外にはなじみの薄い「千葉県東葛地域」について少し説明をしなければならない。千葉は東京隣接のベッドタウンとして、県の北西部に極端に人口が偏重している。この中でも、江戸川をはさんで東京都と隣接するのが松戸市(50万人)、市川市(50万人)、船橋市(63万人)の3市である(この3市だけで県人口の4分の1を占める)。この3市と近隣自治体を総称して「東葛飾=略称・東葛(とうかつ)」と呼ぶ。東京都内に葛飾区があるが、そのさらに東南に位置するのがこれら東葛3市であると理解すればよろしい。  これら3市は、市内に常磐線、総武線、北総線、京成線などがそれぞれ東京都心から東西に貫通する形となって通勤圏を形成しているが、その反対に道路事情は概して貧弱であった。  なにせ、2018年6月2日まで、この東葛3市と東京都心を南北に結ぶ高速道路はただの1メートルも整備されていなかったのである!だからこそマイカー族にとって、東葛3市の道路事情は常に大渋滞がデフォルトであり、東京都心にクルマで出かけるためには相当の覚悟を持ってやらねばならなかった。  よって、東葛3市の地元経済会は、外環千葉区間の開通を悲願とし、50年に及ぶ紆余曲折の招致運動を続けてきたのであった。その悲願が実現したのが、冒頭の2018年6月2日なのである。  この外環千葉区間の完成によって、実際の東葛3市から東京都心への車移動はどうなったのか。かくいう筆者はまさにこの東葛3市の最も北部に位置する松戸市に在住しているのだが、2018年6月2日以前、松戸からクルマで六本木に出るまで、混雑時で2時間半。平常時でも1時間40分を要したが、外環千葉区間の開通でなんとこれが最短40分程度(混雑時でも1時間半超)に短縮した。  あるいは松戸から羽田空港はどうか。これも従前では混雑時で3時間超。平常時で2時間を見なければならなかった(このせいで、私は国内線某便に乗り遅れたことがある)が、最短50分程度に大幅に短縮することと相成ったのである。  これは瞠目するべき効果であり、東葛3市のマイカー族はこの外環完成により多大な恩恵を被っている。このような有用な高速道路には、国際的に比較して幾ら高かろうが、700円だの800円だのの通行料は実に廉価と思わねばならない。外環様様である。

かつての外環終着地にはラブホが林立

 さて、今回取り上げるラブホは、この外環千葉区間と切っても切れない因果を含んだ物件である。外環千葉区間が2018年6月2日に完成するまでの実に50年間。外環の東部における最終地点は埼玉県三郷市にある「三郷南IC」であった。つまりいまでこそ外環東部は完成して久しいが、それまでは「三郷南」が外環東部の終着地点であり続けたのである。  高速道路のインターチェンジといえば、ラブホテルの好立地地帯であることは言うまでもない。窮屈な都心から解放され、セダンの助手席に女人(にょにん)を乗せてそのままのスピードでずるりと連れ込み宿に滑り込む。このような運転者と助手席占有者二名の心理状態に対応すべく、高速IC周辺にはラブホテルが乱立地帯を形成するのは、日本全国で見られる光景である。  もっとも、欧米のモータリゼーション社会に劣後してクルマ社会が到来したわが国では、自家用車保有者は中産階級以上であり、なのだから情交の場所にわざわざ金を払いに来るだけの資力がある、という前提の元にラブホ街が高速IC周辺に形成されていったという経緯もある。ともあれ、「三郷南」が外環東部の終着地点であり続けた50年間、この周辺にはラブホ街というまでには遠いが、奇妙な位置関係を保って住宅街の中に突然、ラブホが点在する様相を呈している。まずラブホが先行して開業し、その後に宅地化が進行した典型的な様相である。  つまりかつての外環の南端に、「夢の宴」ともいうべき古色蒼然としたラブホが立地する。今回紹介するのは、かつて外環の南端のラブホテルとして栄華を誇った(?)であろう、老舗の物件『ホテル パサール』(パサールは、スペイン語で“立ち寄る”の意)である。三郷市は人口約14万。その南部が東京都葛飾区と隣接する典型的な埼玉南部のベッドタウンである。ホテルパサールは、その新旧が混合する三郷市の住宅街、外環三郷南ICから約3分圏内の住宅街にこつ然と現れる。首都近傍ではもはや希少となったガレージタイプ(クルマのまま個室にチェックインする形式)が健在なのが特徴だ。

ホテルパサールの入り口

ホテルパサールの内装 宿泊8000円台の部屋、十分すぎるほど奇麗だ

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内装の古さは全く感じない
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(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/評論家/令和政治社会問題研究所所長。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数

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