ウォリアーとスティングの“運命の糸”――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第80回
いっぽう、ウォリアーはダラスでディンゴ・ウォリアーに改名し、翌1987年にはダラスから引き抜かれる形でWWEと契約。1987年9月のTVデビューと同時にリングネームをアルティメット・ウォリアーに改めた。
アルティメット・ウォリアー=究極の戦士というキャラクターを考案したのはビンス・マクマホンだった。ビンスはホーガンのあとの世代のスーパースターづくりにすでに着手していた。
顔にネオンカラーのペインティングをほどこした“究極のウォリアー”というキャラクターは、ビンスがノドから手が出るほど欲しがっていた“本家”ロード・ウォリアーズに対する一種のケン制でもあった。ビンスは、WWEの近未来キーパーソンとしてウォリアーをとことん溺愛するのだった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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