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ブレット問題発言「こんな会社、やめてやる」――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第241回(1997年編)

 WWEの“マンデーナイト・ロウ”とWCWの“マンデー・ナイトロ”が毎週月曜夜の同時刻に別べつのチャンネルで番組をぶつけ合う“月曜TVウォー”がスタートしたのは1995年9月。“マッチョマン”ランディ・サベージ、ケビン・ナッシュ、スコット・ホール、シックス(ショーン・ウォルトマン)ら主力グループがWCWに引き抜かれ、1996年10月にはハルク・ホーガンの永遠のライバルといわれたロディ・パイパーまでがWCWに電撃移籍した。  WCW内に新派閥nWoが誕生し(1996年7月)、ハルク・ホーガンがまさかのヒール転向を果たしてからは“マンデーナイト・ロウ”と“マンデー・ナイトロ”の視聴率がいっきに逆転。プライムタイムにテレビをつけている一般視聴者層は“ナイトロ”を選び、“ロウ”を視聴しているマニア層のファンはこういったTVインタビューでのWWEスーパースターズの政治的コメントに敏感になっていた。  “オーバー・ザ・トップロープ・ルール”が適用された前夜の“ロイヤルランブル”でじっさいに最後の最後までリング内に残っていたのは、50分経過の時点で“ストーンコールド”スティーブ・オースチンを場外に落としたブレットだった。  ところが、レフェリーはストーンコールドの場外転落=失格を確認せず、再びリングに戻りブレットをトップロープごしにリング下に転落させたストーンコールドの優勝をコール。ブレットは明らかに勝っていた試合を審判のミスで落とした。  ビンス・マクマホンとゴリラ・モンスーンWWE会長の両首脳は緊急ミーティングを開き、この問題の早期解決を検討。次回PPV、2.16“イン・ユア・ハウス13/ファイナル4”チャタヌガ大会でブレット、ストーンコールド、アンダーテイカー、ベイダーの4選手による“4ウェイ・マッチ”の開催を決定した。問題の“ロイヤルランブル”で最後までリング内に残っていたのはこの4選手だった。  “4ウェイ・マッチ”とは、4人のレスラーが同時にリング内で闘い、最後に残った選手の勝ちというトルネード・ルールの変則マッチ。この試合の勝者には“レッスルマニア13”のメインイベントでWWE世界王座への挑戦権が与えられることも併せて発表された。
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「こんな会社、やめてやる」と発言したブレットは…
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