ファッションデザイナーとしての第一歩
読者モデルとして誌面に出始めた頃、渋谷系アパレルブランドから声がかかるようになる。アパレルブランドとしては、編集部経由で商品を誌面に使ってもらうより、読モ個人に商品を渡してスナップなどで着てもらえば、その宣伝の費用対効果は抜群。そういった状況下でブランドと接点を持ったザニー氏は、ある日、「
自分にもデザインをさせてくれ」と提案する。
「ギャルオの走りはサーフ系だったと思うんです。そこから多様化して、僕なんかはデリッカー系のゴリゴリなタイプ(※原色やネオンカラーを取り入れるなど、サイケデリック・トランスミュージックをベースにした派手なCLUBスタイル)だった。あの頃ってヒョウ柄のシャツとかロングセーターは渋谷でも売ってなかったんですよ。僕は地元が板橋なので、それこそ地元の商店街のオバチャンが買うような衣料店で買ってきて、自分でハサミ入れたりして加工してたんです。それを着てセンター街を歩いてると『それ、どこの?』って聞かれて、『いや、自分でリメイクしたんだけど』。自分でバーナーで焼いて焦げ目をつけたり穴を開けたり」
ザニー氏は、そういった
オリジナルのリメイクが今の自分の創作の原点だと語る。そこから今の仕事でもあるファッションデザイナーとしての一歩を踏み出すことになる。
「それで、人から『じゃあ俺のもリメイクしてよ』とか『私のも作って』ってなると、これを仕事にしたいな、でもどうしたら仕事にできるんだろう、という想いが湧いてきて。そんなとき、読モになってアパレルの人たちとせっかく関係が出来たんだから、僕のお願いも聞いてもらおうと思って」
10年の時を経た今、天国にいる恩人に捧ぐ想いとは…
モデルや渋谷系アパレルブランドを経て、現在はようやく「ファッションデザイナーです」と胸を張って言えるようになったというザニー氏。
「デザイナーの仕事を始めたのが2007年だから、今年でちょうど10年ですね。一昨年、メンエグデビューのキッカケを作ってくれた佐伯さんを亡くしたことが本当にショックで……」
それは、ようやく夢の形が見えてきた矢先の出来事だったという。
「一昨年初めて開催した僕のファッションショーに佐伯さんをご招待したくて何度も電話したんだけど、全然繋がらなくて、どうしたんだろうと心配していました。すると後日、すでに亡くなられていると知らされて……。亡くなった原因すらわからなかったから、状況が全く掴めなくて。そんな不安の中での初のファッションショーでした。佐伯さんに見てもらえなかったことが今でも心残りです。結婚されていたかどうかはわからないんですが、佐伯さんには娘さんがいらっしゃるようで、僕、どうしても会いたいんですよ。たとえば娘さんが成人して結婚される時にドレスをプレゼントするとか、これから何か僕に出来ることがあると思うんです」
ドレスのフィッティングやポージングをチェックするザニー氏
恩人に対して、生前に何も返せなかったことを悔やんでいるザニー氏。だが、だからこそ、今後も前を向いて歩いていく。
「モデル時代、最後の仕事となった渋谷109のビルボード(屋外の大きな看板)でモデルになった僕に対し、佐伯さんが『
あの広告を見るとさ、俺すっごく強くなれるんだよね』と言ってくれて。そういうのが、僕自身すごくうれしかった。当時は自分の夢の実現のためだけに突っ走っていて、そういう人の気持ちに気が付かなかった。佐伯さんのこの言葉が僕にとって本当にエナジーで。そんな色々な人の想いを背負ってきたからこそ、僕は10年やってこれたんだな、と感じます」
(次回は祖国ミャンマーへの想い、新たなステージへの挑戦を語る)
<取材・文/菊橋みかん、撮影/藤井敦年(インタビュー)>
渋谷系ファッションをはじめ、若者カルチャーからアウトロー、任侠系にキャバクラ、風俗ネタまで、節操なく取材&執筆をこなす、貧乏暇ナシなライター・コラムニスト。酒とタバコとクラブとギャルが大好きな“ギャルおっさん”。
●『ZARNY COLOR LEATHER SHOW in MATSUYA GINZA』
(ザニー・カラーレザー展・イン・松屋銀座)
会場 : 松屋銀座 5階 紳士フロア
期間 : 2017年4月26日(水)〜 2017年5月9日(火)の2週間
お問い合わせ先 : 03-3567-1211
※オンラインショップは
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