変わりゆく渋谷、伝説の“メンエグ”モデルたちの現在
2012年に渋谷ヒカリエがOPEN、2020年から2027年にかけて大規模なリニューアルを目指すべく改装が始まった渋谷駅など、加速度的に大人の街へ変貌を遂げつつある渋谷。しかしこの街は、かつて「若者の街」の代表格として、流行のシンボルとも呼べる街だった。
若者カルチャーの聖地であった渋谷をベースに生まれたのが、いわゆる「ギャル男」と呼ばれる渋谷系ファッション。そして、そのトレンドを発信、牽引していたのが『men’s egg(メンズエッグ)』に代表される、渋谷系ストリート誌で誌面を飾っていた読者モデルたち。渋谷が輝いていたあの時期、カリスマ的人気を誇っていた彼らは今どうしているのか。その近況に迫ってみたい。
ギャル男雑誌の先駆けとも言える『men’s egg』(大洋図書)は、1999年創刊。当時流行っていたコギャルの男版と呼べるギャル男にスポットを当てたストリート情報誌だった。日サロで焼いた黒肌とメッシュの入ったロンゲというファッションに身を固めたメンズたちを取り上げた内容で、その誌面に登場していたのが読者モデルと呼ばれた若い男性たち。
彼らのファッションやヘアスタイル、果てはキャラまでが、当時の読者から圧倒的な支持を受け、そのアイコン的な存在は社会現象の1つとして取り上げられたことも。
プロのモデルではなく、あくまで読者と同じ目線を持つ読者モデルの立ち位置は、大部分の一般読者から好意と羨望の眼差しで見られる一方で、一部読者の嫉妬や敵意も受けていたことは想像に難くない。また、その人気を利用しようと、多くの有象無象が彼らを取り巻くこともあっただろう。しかし彼らは、そのブームに乗りながらも自己を喪うことなく、あくまで自分らしいスタンスを貫いていた。
そんなカリスマ的人気を誇り渋谷センター街を闊歩していた、かつての読者モデルたち。まず、創刊時より『men’s egg』の看板モデルとして活躍していた、“ピロム”こと植竹拓さん。
『men’s egg』の誕生以前は、『Cawaii』(主婦の友社)で読モデビューを果たし、その後『東京ストリートニュース!』(学研)、『BOYS RUSH』(主婦の友社)、そして『men’s egg』の姉妹誌であった『egg』でも読モを務めていた、まさに読モ界のパイオニア的存在だ。
読モ時代よりアパレル会社を経営していたが、『men’s egg』休刊と共に倒産。現在は、会社員兼自営業の二足のわらじで頑張っているとか。自身の読モデビューから倒産までの経緯は、彼の著書『渋谷(ピロム)と呼ばれた男 ギャル男の終焉』(鉄人社)に詳しい。
「読モ卒業後、仕事で初対面の人と会っても、大抵は『昔、雑誌で見てました』となって名刺いらずな点がメリットですかね。読モ時代に出会って今も関係のある人たちは、読モじゃなくなった今も変わらず接してくれるし俺のことを信頼してくれる人ばかりなので、そんな点でも恵まれているな、と思うし。読モ時代の話は俺の本に詳しく書いてあるんで、まだ読んでない人はぜひ買って読んでみて(笑)」
……読モ仲間から“元祖”と呼ばれた男だけあって、バイタリティの高さと商魂の逞しさはさすがだ。
渋谷から日本を席巻した、若者カルチャーの旗手たち
「読モ時代に培った人脈が財産」植竹拓
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渋谷系ファッションをはじめ、若者カルチャーからアウトロー、任侠系にキャバクラ、風俗ネタまで、節操なく取材&執筆をこなす、貧乏暇ナシなライター・コラムニスト。酒とタバコとクラブとギャルが大好きな“ギャルおっさん”。
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『渋谷と呼ばれた男』 90年代後期、まだ治安が悪かった渋谷で後ろ指を指されながらも己を貫き通し、成り上がっていった元「メンズエッグ」カリスマ読者モデル・ピロムの壮絶半生を描いた自伝 |
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