更新日:2023年12月06日 19:05
エンタメ

現役“黒ギャル”モデルの32歳女性が明かす苦労の道のり「収入が安定するまで10年かかった」

 平成の時代に絶世を極めたギャル文化。その元祖と言えるのが、日焼けした小麦肌に派手髪、派手メイクが特徴の「黒ギャル」である。
藤木そら

10年以上にわたって黒ギャルとして活動する藤木そらさん(撮影/藤井厚年)

 渋谷のセンター街を中心に“ギャルサー”や“パラパラ”など、独自の若者カルチャーを創り上げた。まさに王道にして正統派。黒ギャルは、ギャル文化を語る上で外せない存在なのだ。しかし黒ギャルは今、都心の街中ではほとんど見かけなくなった。相次ぐギャル雑誌の休刊、ギャルの多様化、清楚系や韓流ブームの台頭……。さまざまな要素が重なり合い、“絶滅危惧種”とまで言われるように。  そんななか、10代からギャルに目覚め、現在まで王道の黒肌スタイルを貫くギャルモデルが藤木そらさん(32歳)だ。
インスタグラム

藤木そらさんのインスタグラムより(@sorafujiki)

 インスタグラムのフォロワー数は16万人を超えており、黒肌美女雑誌『LOALO(ロアロ)』のメインモデルや、ファッションブランド「BLACKQUEEN(ブラッククイーン)」のプロデュースなど、マルチに活躍している。  黒肌にこだわり続ける理由や、生計を立てるために苦労したこと、ギャルマインドを貫く信念について本人へ聞いた。

幼少期は“野球少女”、自然と肌が黒くなって「安室ちゃんみたい!」

藤木そら まずは彼女にとって「黒肌」の原点はなんだったのか。京都府で生まれ、海の綺麗な田舎で育った藤木さんは学生時代、野球やソフトボールに打ち込んでいたという。 「小学校の頃、放課後は毎日外に出て野球をしていました。中学校ではソフトボール部に入り、キャッチャーをやりながら副キャプテンも任されていました。もともと地黒だったこともありますが、屋外にいることが多かったので、自然と肌が黒くなっていて。周囲の友人からは『安室ちゃんみたい!』と言われたりしていましたね」  そして高校進学後、第四次パラパラブームの影響から、放課後はパラパラを踊りに出かけるようになっていった。 「高校の校則が厳しかったので、ギャルメイクや金髪にするのは夏休みだけでした。親は、小中学校では真面目だった自分が突然ギャルに目覚め、パラパラを踊るようになった姿を見て、反対していましたね。私はそれを押し切ってギャルを楽しんでいたのを覚えています」

遊び感覚で始めたギャル雑誌のストリートスナップ

藤木そら 高校を卒業し、美容専門学校に入った藤木さんは、ギャル雑誌のストリートスナップに参加するようになる。  この頃は雑誌の「読者モデル」全盛期。兵庫の須磨海岸や大阪の道頓堀などでスナップ撮影の告知があると、“読モになりたい”という多くのギャルが集結する時代だった。  藤木さんもストリートスナップに出向き、渋谷系ファッション雑誌「men’s egg(メンズエッグ)」や「MEN’S KNUCKLE(メンズナックル)」などのギャル系企画で、スナップを撮ってもらう機会が増えていったのだ。  最初の頃は「雑誌に載れてラッキー」という遊び感覚で始めたストリートスナップも、専門学校の在学中に出演したファッションショー「GOSSIP KANSAI」の第一回グランプリを受賞したのがきっかけで、「ギャルモデルとして頑張れるかも」と思うようになった。
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上京するもオーディションに落選
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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