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まんしゅうきつこさんの『捨てられないTシャツ』

 大学4年のときに同棲していた彼とは別れ、留年中はもう卒論ぐらいしか授業が残ってなかったので実家に帰って、たまにゼミに出る以外は完全なひきこもり生活に。で、何をしていたかというと、家で本当に1日中ドラムを叩いていた。とにかくドラムが叩きたかった。アシスタントで稼いだお金でドラムセットを買って、ストーンズの曲を聴きながら、チャーリー・ワッツのドラムをひたすらコピーしていた、独学で。朝起きて、ドラムを叩いて、ギターも弾いて、またドラムの練習して、ギターを弾いて、ふと時計をみると13時間くらいたっているという毎日。ライブをやりたいとかバンドをやりたいとかは全然なく、たまに自分で多重録音するくらい。でもストーンズをかけながら叩いているから、一人ぼっちだけどバンドメンバーがいるような気持ちにもなれた。その間、漫画は全然描かなかった。  そんなドラム生活が2年続いたとき、見かねた父親が市役所の非常勤職員の仕事を見つけてきて、プラネタリウムで働くことになった。23歳のことだった。働いていても、早く帰ってドラムを叩きたいといつも思っていた。いま思えば、あの欲求は運動欲だった気がする。3歳からスイミングとスキー、小学校でバトントワリング、中学校で器械体操とずっと運動していたのに、高校と大学でパタっとしなくなったから、体を動かしたくてしょうがなかったんだと思う。ドラム練習中はエアコンもつけずに汗だくだし、ドラムは足も使う激しい全身運動だし。  でも働くうちに徐々に人と会うようになって、ちょっとずつドラムから離れていく。働いていたプラネタリウムは手作り感を売りにしていて、たとえばギリシャ神話だったら、老人から子どもまで楽しめるように脚本を書いて、絵も自分で描いてカメラにとってスライドにして。さらに職員でセリフを言うような小芝居を録音してそれを家に持ち帰って、機材ならたくさん持っていたから「ガシャーン」とか「チャーン」とか効果音や音楽をいれて、それを上映していた。その作業は、すごく楽しかった。26歳までそこで働いて、その次の職場で出会った人と結婚した。結婚をきっかけに栃木に引っ越してからは、たまにアシスタントしたり、近所の洋服屋さんで働いたりするように。  ブログを始める1年ぐらい前のこと、Twitterを通じて仲良くなった人から、こっちが女だとわかると、「今度会おう」とかリプライされたり、気持ち悪いDMが届くようになった。そういうのがすごく嫌で、「まんしゅうきつこ」という名前にしたら絶対ひかれてそういうことがなくなるだろうと思いて、勢いで名前を変えてみた。  2012年、ブログ『まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど』を始めたら、「うちから本を出しませんか」と、ひっきりなしにオファーが来るように。本を1冊出したらやめようと思ったけど、結局やめるタイミングがないままここまできてしまった。ちなみに、この名前に心が折れそうになって、占い師に相談したこともある。そしたら「あかいりんご」、もしくは「桃子」っていう名前にして、ブログも「桃子のもこもこワンダーランド」にしろと言われ、それよりはまんしゅうきつこのままがいいと思って、そのまま使い続けている。  布や紙類は邪気を吸い込みそうだからすぐ捨ててしまうのだけど、このTシャツは3年ぐらい保管している。Tシャツは「けつのあなカラーボーイズ」という、インターネット上の面白いことをするひとたちが集まったグループによるトークイベントのもの。そのイベントはチケット販売がなく、Tシャツを買ったひとが入場できるシステムだった。何種類かあったけれど、わたしはこれが良かった。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1373999
まんしゅうTシャツ

きつこさんの○○○

 一番の理由はイラストで、これは日本人にはなかなか書けないイラストじゃないだろうか。おしゃれには疎いほうだけど、このイラストはすごくおしゃれだって思った。イラストの作者はポテチ光秀さん。  Tシャツに関して言うと、大人になってから自分には丸首が似合わないと気づいて、だからTシャツの襟はこのように自分で加工していた。さらにそもそもTシャツが似合わないのではと2年前ぐらいに気づいて、Tシャツ自体を着なくなった。  でもこのTシャツだけは捨てられなくて、いつかヨガのときに着ようかなと思っている。 <取材・文/アーバンママ>
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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語


アル中ワンダーランド

まんしゅうきつこ、お酒に逃げたらこうなった……。

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