“バンプをとらないプロレスラー”ポール・Eの不眠パワー――フミ斎藤のプロレス読本#109【ECW編エピソード01】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
『スリープレス・イン・シアトルSleepless in Seattle』(邦題『めぐり逢えたら』)というタイトルの映画があったけれど、ポール・Eの場合は“スリープレス・イン・ニューヨークSleepless in New York”だ。
ポール・Eはほんとうに眠らない。リングネームはポール・E・デンジャラスリー。本名はポール・ヘイメン。みんなにはポール・Eと呼ばれている。3日間で5時間ばかりの睡眠時間をとればましなほうらしい。
そんなにずっと起きていてなにをしているのかというと、夜も昼もなくプロレスのことばかり考えつづけているのだ。
ポール・Eの仕事は悪党マネジャーということになっている。もちろん、これは表向きの顔で、もっともっと大切な業務はドレッシングルームのなかをシキることにある。
イーストコースト・エリアでものすごいカルト人気を呼んでいるECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング)はポール・Eのブレイン・チャイルドである。
こんなボーイズを集めて、こんなキャラクターをつくって、こんなレスリングを観せよう、というもろもろのアイディアはほとんど全部、ポール・Eがひとりでひねり出している。
ニューヨーク生まれのポール・Eは、ニューヨーク・ニューヨークのプロレスをすぐそばで観て育った。
ブルーノ・サンマルチノやペドロ・モラレスや“スーパースター”ビリー・グラハムの試合だったらディテールのディテールまでほとんど暗記しているし、いまだって何年の何月のマディソン・スクウェア・ガーデン定期戦の第何試合はだれとだれが闘って、どっちがどんな技で勝ったかを正確に記憶している。
根っからのマニアだから“インサイド・レスリング”“レスリング・イラストレーテッド”といった専門誌は穴が開くほどむさぼり読んだし、少年時代は自分でミニコミのたぐいをつくってみたりもした。
そんなにプロレスが好きだったらレスラーをめざすか、マガジンのエディターを志望するか、あるいはプロレス団体に就職してスタッフとして働こうと考えるのがふつうだけれど、ポール・Eの場合は悪党マネジャーになるものと子どものころから心に決めていた。
けっきょく、じっさいにプロレスの世界に入ったのは17歳のときだった。アポイントメントも取らずにタンパのNWAフロリダのオフィス(タンパ・スポータトリアム)を訪ねていって「ここで働けますか」と直談判してみたら、いきなりTVマッチ用のリングに上げられて、たまたまスタジオに来ていたスコット・ホールにパワースラムを食らって悶絶したことがあった。
ニューヨークにいてもろくに仕事なんてないから、アメリカじゅうを放浪するようになった。
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