スナックで嫌われる老人と愛される老人、両者の明暗を分けたものは…?
「イズさんになら抱かれたい」
店を訪れる女性客たちは口を揃えてそう言う。血迷った男もたまに言う。中村もたぶんその一人で、彼はイズさんのことを異常に愛している。普段は酔って絡み散らす中村だが、イズさんがいる時はそんなに周りに絡まない。絡みはしないが、機嫌が良くなって酒を飲み過ぎるあまりにいつも以上に何を言っているのかわからなくなる。
この日は台風が過ぎ去った直後だったので、中村は子供の頃に台風が来て近くの川が氾濫した時の話から始まって、60年以上前のセピア色の記憶を喋りまくっていた。彼は家に籠っている近況しかないので大概、昔の話しか出てこないが。
「昔は神田川なんてしょっちゅう溢れてよぉ、鯉が氾濫してよぉ、なぁイズ。俺ら捕まえてよぉ」
「………鯉は氾濫しねぇだろ」
「やっかましいなお前、人の揚げ足ばっか取って。天麩羅にして食ったよなぁ鯉」
「ユキナ、煙草一本もらっていい?」
「どうぞどうぞ」
「バッカ野郎。お前なんか泣き虫だったくせによぉ。こいつ、泣き虫でよぉ、弱虫だからいっつも俺は仕方なく一緒に遊んでやってたんだよ」
「そういえば、この間言ってた『YESTERDAY』観てきたよ」
「あらほんと。どうでした? イズさんなんて世代だから映画の中に出てくるのほとんど知ってる曲だったでしょ」
「うん。なかなか良かったよ。ユキナは『JOKER』は観たの?」
「俺はこの間ケーブルテレビで『大菩薩峠』観てよぉ、市川雷蔵はいいよなやっぱり」
「観ましたよ~。シナトラの曲がいっぱい流れますよ~」
「そういや昔も川村と一緒に遊んでた時お前がピーピー泣いてよぉ」
「……お前そん時いなかっただろ」
イズさんは始終この調子で、かれこれ六十年以上中村と適当な距離で付き合っている。というか、この調子だから中村と付き合えているのだと思う。
この会話だと、彼が中村の面倒な話を聞き流しつつ冷静なツッコミを入れているように感じるが、どちらかと言うと聞いていないに近い。そう、マジであまり聞いていない。ちなみに上記の「『JOKER』は観たの?」というわたしへの質問はこの日の二日前くらいにも一週間前くらいにもされているし、来週あたりもう一度、「『YESTERDAY』観たよ」って報告される気もしている。
もう慣れたが、イズさんのこの特徴に気付くのに、わたしはわりと時間がかかった。彼は泥酔することはまず無いし、受け答えも言葉もしっかりしているし、人の話は頷きながら聞くし、イケメンだし、なんだかものすごくちゃんとしているように見えるのである。
「俺は酔って記憶なくしたことなんてほとんどないよ」
イズさんは前日の記憶がないわたしやマスターに呆れながらよく言う。それは本当にそうなのだと思う。そもそも彼は記憶をなくすほどの量を飲まないから。そのわりには既に話したことを何回も聞いてくることが多い。わたしの昼間の仕事の話、実家の話、店であった出来事。はじめは忘れてしまっただけなのかと思っていたが、どうやらそうではなく、適当な質問を繰り出すことはするが、その回答にはそんなに耳を傾けてはいないのだ。
(おおたにゆきな)福島県出身。第三回『幽』怪談実話コンテストにて優秀賞入選。実話怪談を中心にライターとして活動。お酒と夜の街を愛するスナック勤務。時々怖い話を語ったりもする。ツイッターアカウントは @yukina_otani
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