「女生徒との接し方がわからない」セクハラ認定におびえる教師たち
総理大臣まで務めた与党の重鎮・森喜朗氏が、“不適切”な女性蔑視発言から要職を追われるなど、昭和や平成の“当たり前”が、令和では当たり前ではないという感覚がようやく日本社会にもひろがってきた。
とはいえ、近年の急速な変化によって、かつての当たり前が「セクハラ」や「パワハラ」認定されてしまうことに困惑している人も中にはいる。現役の教師たちに話を聞いた。
「思春期の女性を相手にしているという意識は常にもって注意していました。しかしこの数年、どう気をつけていても“セクハラ”だと言われてしまう。時代の流れとはいえ、ちょっとついていけません」
こう話すのは高校教諭・阪口章吾さん(仮名・40代)。体育教師であり、長らく女子バレー部の顧問を務めてきたが、部活動中の何気ない言動が、トラブルに発展することが増えたとうなだれる。
「練習の後、一人ひとり生徒が私のところに来て、練習の成果や反省点を報告するということをやってきたのですが、一部の生徒が“先生に変な目で見られた”と親に訴えたのです。そんなつもりは当然なかったので、教頭から指摘された時は青天の霹靂でした」(阪口さん、以下同)
練習中、生徒が足を捻ったり痛がったりすると駆け寄り、患部の様子を確かめるために触れることもあった。だが、先の件が起きてからはヤメた。自分にその気がなかろうと、相手が感じてしまえば「セクハラ」や「パワハラ」になり得ると、きつく注意をされたためだ。
「かなりやりにくさを感じているし、生徒をよく観察しないと、教師としての仕事が成立しないと思います。やり方に問題があると言われても、20年近くやってきたことをパッと変える、というのはやはり難しい部分があります」
昭和や平成の“当たり前”は令和の当たり前ではない
生徒との接し方がわからない
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新聞、週刊誌、実話誌、テレビなどで経験を積んだ記者。社会問題やニュースの裏側などをネットメディアに寄稿する。
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