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横浜DeNAベイスターズ「左打ち外野手だらけ」問題。高田GM時代の負の遺産か

交流戦3位と奮闘したベイスターズだが

ベイスターズ 開幕の不振はどこへやら。横浜DeNAが交流戦18戦を9勝6敗3分けで3位、交流戦期間のチーム打率は.297で1位と復調気配である。  もともと開幕不振の原因は外国人選手の来日手配ミスだった点を考えれば合流後、試合感が戻れば打線は問題なかったということだろう。しかし、交流戦防御率は4.90と11位。課題は投手力で、ファンからもどちらかといえば投手力改善に期待が集まっている。  だが、編成数から見るプロ野球視点で見るともっとヤバい課題が横浜DeNAにはあると言わざるを得ない。それは高田繁GM時代に起きていた「左打ち外野手だらけ」問題だ。

右打ちが2人だけ! あまりに極端すぎたヤクルト監督時代の外野編成

 高田繁氏が横浜DeNAのGMとなったのは2011年5月、ここから2018年までGMとして横浜DeNAの編成における最高責任者として仕事をしていたことになる。  そして、高田GMには外野手を左打者だらけにし、チーム不振の原因となった前例を持っていた。そう、東京ヤクルトで全権監督をしていた時である。  ヤクルトの全権監督をしていたのは2008年から2010年の途中辞任までの間。この期間でヤクルトの支配下契約の外野手編成は以下のようになっていたのである。 2008年 右打ち4人 左打ち7人 両打ち1人 2009年 右打ち3人 左打ち6人 両打ち1人 2010年 右打ち2人 左打ち8人 両打ち1人  ちなみに高田監督最終年だった2010年の右打ち2人は控えの志田宗大とレギュラーの立場だった飯原誉士で、両打ちでレギュラーだった福地寿樹が右打席に入らなければ、多くの試合で外野手の右打ちは実質的に飯原誉士ただ1人に頼っていた状態となってしまっていたのである。  この年、飯原選手は打率.270で130試合出場と及第点の成績を残していたが、対戦相手からすれば左に強い投手をぶつけ、飯原だけ警戒すれば外野手の打順は心理的に楽な状態で戦えたことになる。  飽和した左打ちの外野手は代打にまわり、大抵左投手をぶつけられて凡退を繰り返す。シーズン途中で最下位を走り、ファンから「高田やめちまえ」と野次られたのは、数字上から見ても当然だと思うわけで……  結局小川淳司ヘッドコーチが監督代行となってからチームは巻き返し、借金19から代行したにもかかわらず最終的には貯金を4つ作って4位でシーズンを終えるのだが、翌2011年にはあまりにも手薄となっていた外野手の右打ちを補強するために、2009年に一場靖弘とトレードで放出していた右打ちの宮出隆自外野手が楽天を戦力外になっていたところを出戻りで獲得せねばならぬ状況であった。  さらに濱中治、バレンティンに新人の又野知弥、川崎成晃まで5人補強した全員が右打ちなのである。  崩れてしまった外野手のバランスを戻すため、この2011年のヤクルトは支配下外野手が総勢15人と膨れ上がり、チームの編成バランスを整え直すまで長い歳月を要することになってしまったのだ。
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編成に問題アリ!?
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